一紀くんと颯砂くんが海辺で語り合う話。
風颯氷グループ結成済
風颯氷→マリィ(全員好き~好きに限りなく近い友好状態)
2022/6/13 脱稿
「じゃあな、ミツバチさん」
ひら、と手を振って店を出ていく風真の背中を一紀は横目で見送る。
彼女が花屋アンネリーでバイトを始めてから半年。彼女の友人がここを訪れることはよく見る光景になっていた。
それだけ交友関係が広いんだな、と感心すると同時に、彼女だけを目当てにやって来る彼らに多少の苛立ちを覚えている。
ただ一紀はこの店の店員で、彼らの後輩だ。あまり過ぎた真似をすると反感を買う可能性がある。大人しく手を動かすことにする。
「氷室くん、手伝うよ」
風真を見送って入口から戻ってきた彼女が水換え作業をしていた一紀の傍に駆け寄る。
「いい。それより水揚げがまだの花あるから、そっちやって」
思っていたよりもつっけんどんな口調になってしまった。言い終わってからしまった、と彼女の顔を見ると眉尻を下げたまま困ったように笑う。
「そ、そうだよね。ごめんね」
呼び止める暇もなく彼女は一紀が指示した方に行ってしまった。
バイト終わりに波に乗る時間は、大体夕焼けと一緒になれる。
海ではいつも、一紀がただのイノリでいられる。気ままに、ただ波を待って、乗って、揺られて、誰にも何者にも咎められることはない。
「……はあ」
サーフボードを片手に、一紀は砂浜へと戻ってくる。
しばらく波に乗っていれば気も晴れるかと思ったがそんなことはなく、頭の中では先程のことがぐるぐると巡っていた。
あんなの、ただの八つ当たりだ。一紀が抱えている不満を何も知らない彼女にぶつけただけだ。
(不満って、何が)
自分自身でも分かっていない。彼女が誰かと話していると言い表しようのない感情が湧いてくる。
入学して早々、彼女を詰るような真似をしてしまったが、それを気にすることなく彼女は一紀を遊びに誘ってくれる。
そのうち彼女とよく一緒に居る風真や颯砂とも話すようになって、四人で何処かへ出掛けることが増えた。
先日の修学旅行では学年が違うため一紀はさすがに参加できなかったが、三人の土産話が面白かったので、特別疎外されているようには感じていない。
一つ歳上の、仲の良い先輩。ただそれだけ。意味が分からない感情を抱えるような相手ではないはずだ。
「ああ、もうっ」
頭から被っていたタオルで髪の毛を乱雑に拭き、砂浜に座り込む。
いつもなら海に来れば嫌な考えなど全て消えていくのに、今日はそれがない。正体の分からない感情にただただ戸惑いが隠せない。
膝を抱えたまま、寄せては返す夕陽色の波からも目を逸らす。今は、その波音すら耳障りだ。
「あれ、イノリ?」
その音に交じって聞こえてきた足音と、聞き覚えのある声。顔を上げるとトレーニングウェアを着た颯砂が一紀のそばに立っていた。
「ノゾム先輩……」
「どうした。体調悪いのか?」
颯砂は汗を拭いながら一紀の横に屈み込む。動くたびにあちこちに向いた髪の毛が跳ねる。
「いえ、そういうわけじゃ」
「そっか。あ、サーフィンやってたのか。調子どう?」
そばに寝かせてあるサーフボードに気が付いたのか、颯砂は一紀の向こう側を覗き込む。
「……今日は、あんまり」
「あー、そういう日もあるある。人間だから、気分や体調に波があって当然。無理しない方がいいよ」
言いながら颯砂は一紀の隣に腰を下ろす。
「ノゾム先輩、トレーニング中じゃないんですか?」
ウェアを着て、シューズを履いて、手首にはスマートウォッチとリストバンド。誰がどう見てもトレーニング中の格好だ。こんなところで足を止めていいのだろうか。
「ん? ああ、そうだけど、ちょっと休憩」
ホントはクールダウン挟んだ方がいいんだけどね、と言いながら颯砂は大きく伸びをする。ガタイのいい颯砂がそうするとさらに体が大きく見える。
手首のスマートウォッチを操作しているので何やら記録を取っているのだろう。恐らくスマートフォンと連携出来るタイプのものだ。
「そういやさ、今日玲太があの子のバイト先行くって言ってたよ」
記録が終わったのか颯砂が砂浜に手を付いて世間話を始める。男三人でいる時もこうして彼が話題を振って会話が進展していくことが多い。
しかし、今日に限ってはその話を選んでほしくなかった。いま、一紀は上手く答えられない。
「イノリ?」
返事がない一紀を不思議に思ったのか、またも颯砂が一紀の顔を覗き込んでくる。
自分はどんな顔をしているだろうか。先輩に見せていい顔をしているのだろうか。分からない。取り繕う余裕が無い。
「――っはは! どうしたそれ!」
「えっ」
犬歯が口から覗いて、大型犬のような笑顔を向けられて拍子抜けする。笑われるような表情をしていただろうか。思わず自分の頬をつねる。
「違う違う。眉間に皺、寄りすぎだって」
すっと伸びてきた颯砂の指は言葉通り一紀の眉間に直撃する。そのまま指圧するようにぐりぐりと押される。
「や、やめてくださいよ!」
「はは、ごめんごめん」
振り払うと颯砂は微塵も悪びれる様子なく手を引っ込める。まだ顔が笑っているのが癪だ。
「あの子となんかあった?」
「え……」
刺激された眉間を押さえていると颯砂は夕陽に目を向けたまま問いかけてくる。
一紀の顔を見ないのも、でもまだちょっと口元が緩んでいるのも、全部見透かされているみたいだ。それが悔しいような、ちょっとだけ安心するような。
「……リョータ先輩、あの人に会いに来てました。珍しいことじゃないんですけど、何故だか今日は、すごく――」
「嫌だった?」
言い淀んだ先を颯砂が引き継ぎ、一紀は大人しく頷く。
そう、嫌だったのだ。風真がわざわざ彼女に会いににバイト先へ来て、彼女と仲良さそうに話をしていたのが。そんなことを言えるような立場ではないのに。
「玲太はあの子のこと、大好きだからなぁ」
「知ってますよ、十分」
四人で居る時も隙あらば彼女にいい所を見せようと躍起になっている。それが面白い時もあれば、哀れに感じる時もある。相手が悪いな、と同情する時も。
でも彼女の様子を見に来る風真なんて今までもずっと見てきた場面だったはずなのに。
「だよな。でもさ、俺も好きなんだよ、あの子のこと」
「えっ」
思わず颯砂を見ると、彼は夕陽から一切視線を逸らしていないままだった。
そこには嫉妬や劣等感は感じられない。真っ直ぐに、ただ事実を述べている。
「で、イノリもそう。だから、俺達みんなあの子のことが好きなんだ」
「……ちょ、ちょっと待ってください。誰が、」
慌てて否定すると颯砂の目が一紀を捉える。そして悪戯っ子のように弧を描く。
「違うのか?」
「…………違わない、と、思います」
言葉にすると一気に顔に熱が昇る。今頃真っ赤になっているんじゃないだろうか。体温も上がっているように感じる。
そんな様子の一紀を見た颯砂はまた犬のような笑顔を見せる。
「じゃあ俺達ライバルだな! 友達だけど、手加減なし。誰があの子の一番になれるか、勝負だ」
負けないからな、と晴れやかな笑顔を見せる颯砂のなんと眩しいことか。
彼は一紀のような感情を抱えたりせず、彼女を好きだと自覚し、風真が彼女を好きであることも理解した上で勝負をしようと言っているのだ。
「だから、俺も二人に遠慮しないし、イノリも俺たちに遠慮する必要なんてないんだ」
まあ一番を決めるのはあの子なんだけど、と締まらないコメントに思わず笑いが漏れる。
「そうですね、それは間違いないです」
「だろ?」
一紀も彼らと同じ土俵に立っているのだろうか。少なくとも颯砂は一紀のことをライバルとして認識しているらしい。もしかしたら、風真も。
一紀が笑ったからか、それとも言いたいことを話し終えたからか、颯砂は再び大きく伸びをしてから立ち上がる。
「じゃ、俺そろそろ行くよ。イノリも気をつけて帰れよ~」
颯砂は服についた砂を払い、腕のスマートウォッチを操作し始める。これからまたトレーニングに戻るのだろう。
「はい。また学校で」
「ああ、また明日なー!」
大きく手を振って颯砂は再び砂浜を駆け出していった。あっという間にその背中は見えなくなり、一紀も立ち上がる。
頭に被っていたタオルを首に回し、先程颯砂がしていたように海面に顔をつける夕陽を見つめる。
(彼女のことが、好きだ)
紛うことなき一紀自身の感情。もう誤魔化しようがない。
彼女のことが好きだから、バイト先に他の誰かがやって来ることが腹立たしかった。それは一紀自身がバイト先での彼女を知っていることに優越感を持っているからに他ならない。これを独占欲と言わずになんと呼ぶのか。
そしてそれは他の人も――風真や颯砂も持っている感情だ。
他の人が知らない彼女の一面を自分だけが知っているか。彼女の中にどれだけ自分が残せるているのか、ということ。
(……なら)
先輩だから、後輩だからなどと御託を並べて足踏みしている場合ではない。彼女のことをもっと知りたい。出来るなら、一紀だけに見せてくれる表情を。
一紀はポーチの中からスマートフォンを取り出し、もうすっかり見慣れてしまった彼女の番号を呼び出す。
しばし逡巡した後、思い切って通話ボタンを押す。コールが始まり、自分の心臓の音がうるさくなっていく。
彼女が出たらまず今日の態度を謝ろう。そして、
「もしもし?」
「僕だけど。あのさ――」