ウルリカエンディング後
ロゼ転がり済話
2025/12/2脱稿
眠れない。
ウルリカはぱっちり目を開いたまま体を起こす。こうしてベッドから起き上がるのも今日はもう何度目になるだろうか。
時計を確認すると短針は二を刺そうとしていた。真夜中も真夜中、ド深夜だ。
アトリエの中から物音はしない。仮にあったとしたらそれは泥棒の可能性が限りなく高い。
このまま目を閉じても眠れる気が一切しない。ならば起きて調合でもしている方が気が紛れるというものだ。
専用の小さなベッドで寝ているうりゅを起こさないように、ウルリカは静かに部屋を抜け出した。
足音を忍ばせて向かった先は階下のアトリエだ。
幸い依頼は溜まっている。納期が近いものもあるのでそれから手を付けるのがいいだろう。
落としたばかりの調合釜に再び火を入れ、安定するのを待つ。ゆらゆらと揺れる炎を見ていればいつもなら眠気がやって来るが、今日は留守にしているらしい。
「こんなこと今まで無かったんだけどな」
ぼんやりと呟いた言葉は夜の中に溶けていく。
どこでだって寝られるというのがウルリカの特技だと言っても過言ではない。いつもなら、目を閉じて数秒も数えれば夢の中に旅立てる。
だからここまで目が冴えている状況というのはウルリカにとって初めての経験だった。一体何がそうさせているのだろうか。
「……あいつが居ないせいね」
不覚にも、心当たりにはすぐ辿り着いた。
数ヶ月前からウルリカのアトリエに住み始めたかつての好敵手、ロゼリュクス・マイツェン。彼とは学園を卒業してから全く連絡を取り合っていなかったが、先日町の酒場で偶然再会し、なりゆきでひとつ屋根の下で生活することになった。
卒業して三年。ロゼは相も変わらず嫌味ばかりでその度に喧嘩も沢山しているが、なんだかんだ言ってこのアトリエを出て行くような素振りはない。ウルリカも追い出すようなことはしてない。お互いにとって心地良い距離感が掴めていると言ってもいいだろう。
アトリエにやって来てからのロゼは酒場に出される魔物の討伐依頼を受けて生活費を稼いでいる。時には遠方まで足を伸ばすこともあるらしく、そういう場合は数日帰ってこない。
今回の依頼もそうらしく、出掛ける時はいつもよりも重装備だった。
広いアトリエでウルリカとうりゅの二人きり。学園を卒業してからロゼが来るまではずっとそうだったのに、今はそれが無性に寂しく感じてしまう。
「あーあ、こんなことならあいつのこと呼ばなきゃよかったかも」
自分自身にこんな感情が眠っていただなんて知らなかった。
幼い頃に両親が居なくなってしまってから一人で生きていくことに慣れ過ぎていたのだ。ロゼと生活を共にすることで誰かと一緒に居ることが心地いいと感じてしまうようになっている。
「……いつ帰ってくるのかしら、ね」
ぱきぱきと燃え落ちる火を眺めながら依頼書に手を伸ばす。大きなクリップで止められた依頼書をぺらぺらとめくっているとアトリエの裏口のドアの鍵がゆっくりと回る。
音を立てないように開いたドアの隙間から入ってきたのは先程まで思い浮かべていた男だった。ウルリカの姿を捉えた紺碧の瞳が驚きに揺れる。
「お前っ、何やってんだ」
「……何って、調合よ」
「時間分かってんのか? 真夜中だぞ」
呆れたような口調にウルリカの口がむっと曲がる。
「知ってるわよ。寝れなかったんだから仕方ないでしょ」
一体誰のせいだと思っているのか。それにロゼがこんな時間に帰ってくるとも思っていない。
ウルリカの発言を聞いたロゼは眉根を寄せ得意の溜め息。
「調合釜に火入れてどのくらいだ?」
「え?」
突拍子のない言葉に驚いて聞き返すとむすっとしたままロゼはウルリカに答えるよう促す。
「さっき入れたばっかりよ」
「じゃあいいな。火、落として待ってろ」
「ええ?」
更に驚いて返すと「いいから」と言い置き、ロゼは装備を持ったまま二階の自室へ向かっていく。
あまりに一方的な指示に腹が立ったもののこのまま調合に移る気にもなれず、ウルリカは火を落とす作業にとりかかった。
数分もするとロゼが何やら小さな缶を持ってアトリエに降りてきた。
「何それ?」
ウルリカが問いかけるとロゼはそれを作業台の上に置く。外には小ぶりな花が描かれている。缶の蓋を開けると中には茶葉らしきものが入っていた。少しだけ甘い香りがする。
「カモミールだ。お湯沸かすから薪オーブン使うぞ」
言いながらロゼは勝手知ったる様子で調合スペースの横に取り付けたクッキングオーブンでケトルを火にかける。幸い調合釜からオーブンに火を移していたので火起こしをする必要は無い。
「なんでまたお茶なんて……」
「眠れないんだろ。起きて作業してたら目が冴えていく一方なんだからゆっくりしろ」
呆れたように言われウルリカの口がさらに曲がる。
「……誰のせいで寝れないと思ってんのよ」
ぽろり、と意図せずこぼれた言葉を拾うことはもうできない。慌てて口に手を当ててちらり、とロゼを見る。
先程は驚きに揺れていた紺碧の瞳と目が合った。今度は驚きではなく、恐らく諦めのようなもの。
「俺のせいだって言いたいのか」
「……そうよ。あんたが居ないせいよ」
こうなってしまってはもう開き直るしかない、ロゼがいないから眠れなかった。依頼で出かけているのも分かっているが、もううりゅと二人の生活に戻るにはロゼがこのアトリエに溶け込みすぎている。
「あんたがいないと……少し不安なのよ。なんでか分かんないけど」
寂しいなどとは言ってやるものか。本当ならこんな弱音だってこの男には見せたくないのだから。
ゴポゴポとお湯が沸いた音がケトルからする。ロゼは一度ウルリカの視線を切ってオーブンに向かう。手元にはいつの間にがポットとカップが二つ用意されていた。
「なんでか分からないのがお前らしいな」
作業台の上に置いていた茶葉の缶を手に取り、ロゼはポットの中に入れる。その上からお湯を注ぎ、蓋をしてから再びウルリカと向き合う。
「奇遇だな。俺も長めの依頼に出かける時は……少し不安だよ」
珍しく口角を上げてロゼは腕を組む。
「それはそうでしょ。だって長めの依頼って護衛とかが多いじゃない。常に気を張ってないといけないからでしょ?」
「それもあるが……」
少し考え込むような素振りを見せて、ロゼは再び口を開く。
「アトリエのことか気になる、ってのもある。お前やうりゅが困ってないか、とかな」
「わたし達が困ってないか……」
「もちろん、お前達を信じてないわけではないんだが……いや、依頼溜め込みすぎて倒れてないか、とかが気になることもあるが」
「最近はマシよ」
以前調合をしながらそのまま寝てしまったため納品が遅れたことがあり、事あるごとにロゼはこの話をする。ウルリカだってあんな肝の冷える経験、二度と御免だ。
「そういうの全部含めて、『大丈夫か?』と考えることは多いよ」
言いながらロゼはポットを持ち上げ、カップに中身を注いでいく。
「このアトリエで過ごし始めてからまだ少ししか経ってないが、自分が外出中に同居人が怪我してたらさすがに悲しいからな」
茶を注ぎ終わったカップを持って作業台に座っているウルリカに差し出す。
ウルリカが受け取ったのを確認してからロゼは彼女の正面に足を組んで座った。
カップの中に注がれていたのは黄金色の液体だ。先ほど缶から直接嗅いだのと同じ香りがする。ゆっくりとカップを口元で傾けて口に含む。
「……なんか不思議な味のお茶ね」
「あんまり好みじゃないか?」
「普段なら飲まないと思う」
だが、今はこの香りと味が妙に心地よい。こんな深夜に茶を啜ることがあまりないというのもある。飲んでいくうちに気持ちがふわふわとしていく。
そして唐突に理解する。この感情は『安心感』だ。
「なるほどね……」
「どうかしたか?」
思わず呟いた言葉にロゼが反応するが、ウルリカは首を横に振る。
ロゼがいるから、というだけではないだろうが、ウルリカのどうしようもない不安は彼の不在から来るものだった。
それが彼と茶を飲むことで彼自身も同じような気持ちも抱いていて、それがなんらおかしい感情でないことが分かった。
不必要なものなんかじゃない。この先、同居人としてロゼと過ごしていく上では大切な感情だ。
「ありがと。なんか眠れそうかも」
そう言った瞬間、ウルリカの口からあくびが溢れる。一瞬顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
「大丈夫そうだな」
ロゼはぐっとカップを口元で傾ける。茶を全て飲み干したようだ。ウルリカもそれに倣う。
するとロゼは立ち上がってウルリカの手からカップを受け取る。
「洗っておくからお前は戻ってていいぞ」
「じゃあお言葉に甘えて」
にっと笑うとロゼも控えめに微笑みを返してくれた。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
就寝の挨拶を告げて、ウルリカはアトリエの階段を登る。今度は朝まで目を覚まさずにいられそうだった。