ウルリカエンディング後
ハルジオンはもう咲かないの続き
個人誌書き下ろしweb再録
2021/7/31脱稿
「それ、ロゼ君から?」
ウルリカの左手首に光った腕時計を、アトリエを訪れていたクロエは目ざとく見つけて問いかけた。
調合釜で今日の分の調合をしていたウルリカは手を止め、本から顔を上げてこちらを見るクロエを振り返る。
「そう。この前のホリデーに」
あれから数週間ほど経っているが、腕時計の収まりは良い。特に採取に出掛けると時間を忘れることも多いためかなり助かっている。
ウルリカの答えを聞いたクロエはふうん、とまた手元の本に視線を落とす。
クロエは時々こうしてウルリカのアトリエにやって来てはおまじないと称した呪いをかけたり、今日のようにウルリカが作業する横で静かに本に耽っていたりする。
彼女の父親はウルリカを嫌っているため、ここにクロエがやってくることを快く思っていないはずなのだが、クロエ自身はそこまで気にしていないようだ。村における地位を利用して村を出禁にされるわけでもないので、クロエの呪いに巻き込まれるのは御免だが、一先ずは好きにさせている。
それ以上会話をする様子がないのでウルリカも再び調合釜に向き直る。今日中に納品予定の物がいくつかあるのでさっさと終わらせたい。コンテナや氷室箱を行ったり来たりしながらアトリエの中を慌ただしく動き回る。
「……意外とロマンチストなんだね」
調合釜の中から作り終えた薬を瓶に移していると、クロエは誰に言うでもなく呟いた。
「なんの話?」
意図が分からずウルリカが聞き返すと、彼女は本から顔を上げずに続ける。
「ロゼ君の話」
「あいつの?」
首を傾げながらも作業を進める。先程のクロエの言葉がロゼの事を表しているのならば、彼
女の中でロゼはロマンチストということになる。
「……なんか、あいつとは程遠そうな単語ね」
ロゼがやってきてから幾度となく繰り返した喧嘩を思い出してウルリカは苦笑いを返す。
楽観的なウルリカと比較して、ロゼはいつだって現実主義だ。リスクを嫌がり、どちらかというと保守的。酒場で受ける依頼も自分の力量を的確に判断し、安全にこなせるものしか受けない。
ウルリカが調合の依頼を受ける際も一緒に居ればかなりの頻度で口を出してくる。ウルリカがどこからでも調合依頼を受けてきて、時々パンクしてしまうことが主な原因なのだが、金はあればあるだけいいと思っているのでその事でもよく揉めてしまう。
「ウルリカは、贈り物の意味って知ってる?」
「どういうこと?」
また唐突に話が飛んだ。瓶詰めが終わった薬を作業台に置き、使っていたお玉を流しに放り込む。
「例えば、指輪を贈るって一般的には婚約の意味を持つ、とか」
「ああ、そういうのね」
そういった意味を持つ贈り物があることはウルリカも知っている。しかし、なぜ今そんな話をするのだろうか。
ちらり、と見た左手首にはロゼから貰った腕時計が収まっている。今も窓から太陽の光を受けて文字盤が金色に輝く。きらきらしていてウルリカもお気に入りだ。
「腕時計にも意味があって……」
「へえ」
釜の底に残った薬を掻き出しながらウルリカは答える。次はまた違うものを調合するので綺麗にしなければ失敗する可能性が上がる。調合ミスをしてロゼにうるさく言われるのは嫌だった。
「《これからもあなたと一緒の時間を過ごしたい》」
「へ?」
思わずクロエを振り返ってしまう。突然なにを言い出すのだろうか。
「腕時計を贈るって、そんな意味が込められてるらしいよ……」
「……え?」
意味が分からず手が止まる。これからもあなたといっしょのじかんをすごしたい、とは。
文字の羅列がウルリカの頭を巡って意味を持ち、ようやく言葉として認識できる。
「えっ⁉」
ぼ、と顔が茹だった音がしたような気がする。顔が燃えるように熱い。両手を頬に当てるがこちらも体温が変わらないのであまり意味がない。
汲み取った言葉は普段のロゼから想像も出来ないようなものだ。彼が来てから二度目の冬を迎えたが、相変わらず喧嘩ばかりしているとウルリカ自身も思っている。それなのになぜ。
「あいつ、どういうつもり⁉」
ウルリカがこんなことに気が付くはずがないという遠回しの嫌がらせなのだろうか。一緒に暮らしているのだからそのぐらい直接言ってほしい。喧嘩なら受けて立つ所存だ。
憤慨しているウルリカを見てクロエは辟易したようにため息を吐く。
「素直に受け取りなよ……それ、多分ロゼ君の《願い》だよ」
願い。強調された単語にウルリカの動きが止まる。そういえば腕時計を貰った時も彼は何か言おうとしていた。ロゼが言わないと判断したのだったら、とウルリカが聞かなかったことだ。まさかこんな壮大な想いが込められていようとは思っていなかったが。
「受け取って、意味を知ったウルリカは、何か返事しないとね……」
「な、なにかって?」
「さあ……それは自分で考えたら? ひとつ屋根の下で一緒に暮らしているんだから」
伝える時間も機会も沢山あるでしょう、と言われたらウルリカも黙るしかない。
クロエ自身は言いたいことを言い切って満足したのか、閉じた本を抱えてアトリエを出て行ってしまった。
◇
「これからもわたしと一緒に居たいって、ホント?」
魔物の討伐任務から帰って来て、夕飯を食べていたロゼはウルリカに突然そんなことを聞かれた。口に入っていたパンが喉に詰まりそうになる。慌てて水で流し込む。
「……一体どういう話だ?」
夕飯を食べている横でいつもより口数が少ないな、と思っていたが全く話の全貌が見えてこない。
「この前のホリデーに貰った、腕時計の話」
戸惑い気味に告げられた話はロゼにとって身に覚えがあるものだった。
ウルリカが言う通り、先日彼女に腕時計を贈った。口では「時間を忘れて作業に没頭しないように」とおどけたが、本当はロゼ自身の願いを込めたものだ。
一緒に過ごしていて分かることも増えた。いろいろなことを分かち合うことも多くなった。ロゼ自身はウルリカとのこれからを望むが、彼女はそうでないことも知っている。
「意味、分かったのか」
ウルリカなら気が付かないだろう、と思っていた。こういうことに疎いことは既に分かっている。だからこそ言葉にしなかったのに。
「分かったっていうか、教えてもらったっていうか……」
歯切れ悪く答えるのは恐らく情報源がウルリカの親友だからだろう。頻繁にアトリエを訪れていることは知っているが、今日も来ていたらしい。
何を吹き込まれたか知らないが、ウルリカがロゼとの関係を疑問視しているのならいい機会なのかもしれない。
「そうだ……――って言ったら、お前はどうする?」
ロゼはこれからもウルリカと居たい。彼女の隣で、彼女と喧嘩をしながら稀に手を取り合ってこの先を過ごせたらいい。もちろん、ウルリカに対する恋慕の気持ちもある。
しかし彼女はそうでないだろう。ヴェーレンドルフ家の屋敷を去ったロゼをなんとなく受け入れて、なんとなく一緒に過ごしている。言うならば捨て犬を拾ってきたぐらいにしか思っていないだろう。
その先に進みたい気持ちと、このままでいい気持ち。相反する気持ちが混ざり合った結果、ロゼはあの日、踏み込まない選択肢を取った。
「……わたしは、」
ぐ、と言葉が詰まる。ロゼは黙ったまま、ウルリカを見つめる。続きを急かすことはしない。
「わたしは、あんたがいて良かったって思う」
テーブルの上でウルリカは手をぎゅっと握る。
「もしかしたら、あんたもわたしの両親みたいに居なくなっちゃうんじゃないかって」
ウルリカの言葉でホリデーの夜に話したことを思い出す。彼女はもう手に入れることが出来ないものを、捨てるに捨てきれない愛情を、他者から見せられることが苦手だと言っていた。
「だから、ちょっとだけ……安心した、かも。これからも一緒に居てくれるんだって」
そしてウルリカは困ったようにロゼに笑って見せる。
ロゼと想っている感情は違えど、そこにあるのは間違いなく愛情だ。彼女が欲しいと願い、捨てきれずにさびついていた感情そのものだった。
まさかそんな応えが返ってくると思わず、ロゼは両手で顔を覆う。
「ちょっと何よ! 人がせっかく頑張って考えたのに!」
「違う、呆れてるんじゃないんだ、待ってくれ……」
ロゼの様子にぷりぷりと怒るウルリカを制し、彼は指の隙間から彼女の顔を伺う。
もう見慣れた怒り顔だが、懸命に答えを探ったことが伺えるほどにロゼはウルリカのことを見ている。そして自分とのこれからを安心して受け入れてくれることに、これ以上ない喜びを感じている。
ウルリカの感情が異性への愛かと言われれば違うのかもしれないが、ロゼにとってはそれで十分だった。
「なあ」
「なによ」
まだぶつぶつと文句を続けていたウルリカを呼ぶと、不服そうな顔で彼女は返事をする。
「触れても、いいか」
ロゼが顔を覆っていた手を差し出すと、ウルリカは一瞬、怯んだような顔になる。
しかし真っ直ぐに見つめる露草色の瞳に気圧されたのか、じわり、と握っていた手をゆっくり開いて伸ばす。
触れ合った指先はあの日と同じくひんやりと冷たい。辿るように手を滑らせて指を絡めていく。
ぎゅ、と交互に指が交わるように力を込めると、ウルリカも同じように返してきた。
「俺は、どこにも行かないから」
だからどうか、ウルリカの傍に居させてほしい。贈った腕時計に込めた願いをロゼは零す。
繋がった手からウルリカの鼓動が伝わってくる。返事はないが、真っ直ぐ手元を見ている新緑色の瞳は何を言おうか考えているように見えた。
「……どこにも行かないのなら、それでいいわよ」
もうあんな風な思いをしなくて済むのなら、それでいいのだと。ウルリカは言い切って顔を上げる。再び視線が交わり、絡まった指先がじんわりと熱を帯びる。
どちらからともなく、二人の顔が近づいて唇が重なる。一瞬触れるだけで離れ、視線が合った二人から笑いが零れた。
「なんか変な感じ。この前だって手を繋いで帰ったのに」
「言われてみればそうだな」
成り行きで一緒に生活を始め、あの頃のように喧嘩も沢山してきた。次第に相手の言いたいことや、言わんとしていることが分かるようになってきて、二人は形容しがたい関係を築いた。
長らく曖昧な関係性に甘んじていたためか、こうして相手を想っての行為が気恥ずかしく感じる。それでも、繋がった手の平の力が緩まることはない。
「これからなにか変わる?」
「……さあ。変わるかもしれないし、変わらないかもしれないな」
先に進み、相手の懐へ踏み込む選択肢をお互い取ったが、ロゼとウルリカの関係が大きく変化するか、と言われればそうでない気もする。
多分いつも通りウルリカはアトリエで作業をして、ロゼは依頼のあった魔物の討伐に出掛けるのだろう。二人で居る時は頻繁に喧嘩して、また忘れて。そんなことを繰り返していくのだ。
ぎゅ、と繋がった手の平に力が込められる。気が付いたロゼが握り返すと、ウルリカははにかんで笑う。
「ロゼが居なくならないなら、どっちでもいい」
今まで通りでもいいし、その先を求めても構わない。ロゼがちゃんとウルリカの隣に居ると約束してくれるのならどちらでも彼女は受け入れるのだと。ウルリカはそう言っているのだ。
伝えられない願いを贈り物に込めて、ウルリカが気付かなくてもいいと考えていたロゼは、ウルリカの明確な応えに苦笑する。
自らロゼの真意に気付かなかったとはいえ、それでも彼女は自分で進むことを決めたのだ。これにロゼが真摯に向き合わなくてどうするというのか。
「居なくならないさ。お前に追い出されない限りは」
「なにそれ!」
失礼しちゃう、と続けた後、ウルリカはやっぱり照れたように笑う。
彼女らしい笑顔に愛おしさが溢れ、ここでまた唇を重ねたら怒られるだろうか、と考えてロゼは思い留まる。
なにも急くことはない。これから先、ウルリカがロゼとの関係に飽くまで隣に居られるのだから。