2020/2/21 脱稿
どこからか聞こえてくる小気味のいい音でウルリカはうっすらと目を覚ました。
シーツが引かれたベッドの中でもぞもぞと蠢くと、引き寄せた腕に自分の胸が当たった。
「……ん?」
普段なら服の感触があるはずなのだが今日はそれがない。肩にかかっている掛布団も、思えば素肌に触れているような気がする。
確かめるように肩に触れるとそこは剥き出しで、その状態は下半身にまで続いていた。
「っ⁉」
いくら年中へそ出しのウルリカでも寝る時はさすがに寝間着を着る。慌てて起き上がると剥き出しの肌に朝の冷たい空気が触れる。
「何よこれ⁉」
慌てて掛布団を引き寄せ肌を隠す。が、どうにも体中が痛い。具体的に痛む部分を言うならば股関節などの腰回り、二の腕、腹筋、そして頭。
痛みに顔をしかめていると、徐々に昨日の出来事を思い出してくる。
「えっと、大宴会に行って、マリーさんたちとお酒飲んで……」
その後、どうしたのだっただろうか。ちらつく記憶はあまり認めたくない事実を教えてくれているような。
がんがんと痛む頭を押さえていると、がちゃりと寝室の扉が開く音がした。
「起きたのか」
扉の向こうから現れたのは昨日の夜、最後に見た顔だった。
いつもの癖で咄嗟に文句が口から出そうになったが、自分の姿を見て動きを止める。
「い、やあああ――――!」
ウルリカはそばにあった枕を思いっきり扉の方へと投げつけた。
◇
目の前に出てくる料理を不服そうに眺めながら、ウルリカはこの料理を作っていた人物が席に着くのを待っていた。
「お前の家、何もないんだな」
「うるさいわね……」
最後にサラダとコーヒーが入ったカップを持ってきて、声の主――ロゼはウルリカの目の前へと座った。
テーブルの上にはパンとハムエッグ、そして先ほど運んできたサラダとコーヒーがそれぞれ二人分並んでいる。
「普段から料理とかあんまりしなさそうだもんな、お前」
「そんなことないわよ!」
両手を合わせてからロゼはパンをかじる。こんなものはウルリカの家にはなかったのでどこからか調達してきたのだろう。
「のんきに食べ始めてんじゃないわよ! 大体、なんであんたがわたしのアトリエにいるのよ!」
ロゼのアトリエはいわゆるお向かいさんだが、用事がない限りお互いのアトリエを訪れるようなことはしない。こんな朝から一緒に食事をとるようなことなど、よっぽどのことがない限りあり得ないのだ。
「……どこまで覚えてるんだ」
少し不機嫌そうな顔で――彼は基本的に不機嫌そうだが、今日は尚更――そう問いかけてきた。
「どこまでって……」
思い出そうとして、ちらつく記憶にかっと顔が熱くなる。
「全部忘れてるわけじゃなさそうだな」
「だ……あっ、あんたねぇ!」
何食わぬ顔で今度はハムエッグを食べ始めたロゼにウルリカはテーブル越しに詰め寄る。
「しれっと朝ごはん食べてんじゃないわよ! こっちは一大事なのよ!」
素肌にシャツと短パンを身に着けただけのウルリカとは違い、いつもの服を着こなしたロゼの胸倉を掴む。
服に着替える時に気が付いたのだが、彼女の首や胸元には赤い跡が散らばっていた。どう考えても犯人は目の前の人物しかいない。
「煽ってきたのはお前だろ」
「そっちが勝手に手出してきたんでしょ⁉」
ぐいっと襟ぐりを引っ張ると、きれいに留められていたロゼのシャツの襟元がはだける。見えた白い肌には猫に引っかかれたような傷があり、少しだけ浮いてミミズ腫れになっていた。
驚いて手の力が緩む。と、同時に手首をロゼに掴まれる。
「これはお前が付けた傷だからな」
「っ~~~~~!」
人が思い出したくない記憶をこうもあっさりと引き出してくるのはたちが悪い。しかもウルリカに原因があるかのような物言いだ。
「何よ! 自分は悪くないですって顔して!」
「そう思ってるつもりはないが……」
手首を離され、ウルリカも椅子に座り直す。ロゼがまた食事を再開したので、ウルリカもパンに手を伸ばした。
食べて分かったが、これはヴェストバルド村にある人気のパン屋のものだ。ロロナのパイショップの隣にあるので、ここからはそれほど遠くない。まさか朝から買いに出かけたのだろうか。
「昨日の話なんだが」
ぼんやりとそんなことを考えていると、サラダを平らげたロゼがフォークを皿に置いてウルリカを真っすぐ見つめる。彼女が引っ張った襟元は雑に直されていた。
「お前、なんであんなこと聞いたんだ」
「え?」
口に運ぼうとしていたハムエッグを取り落としそうになり、ウルリカはすくうようにそれを口へ運ぶ。
「なんのこ――」
聞き返しそうになってハッとする。そういえばきっかけを作った言葉があったような。
前々から不思議に思っていたことだ。行く先々で自分の邪魔をし、嫌味を吐いてくるのは何故なのだろうか、と。そこから考えた一つの可能性を昨日、口にした。それも本人に向かって。
「あれは……あんたが、わたしの行く先でいつも邪魔してくるから、でしょ」
「俺自身は邪魔しているつもりはないんだがな」
むしろ邪魔をされている、と付け加えてコーヒーの入ったカップに口付ける。
「それに対する俺の返答も覚えているか」
「あんたの返事?」
言われて出来事を順番に思い出していく。
ロゼに手を引かれアトリエに戻り、その手に指を絡めて引き止め、彼に問いかけた。
(そのあとは)
思い出してまた顔が熱くなる。酒の力の恐ろしさを身に染みて実感している。
「いや、だって、でも」
「覚えているんだな」
ウルリカは何も明確なことを言っていないが、反応でそう判断したようだ。ロゼは飲んでいたコーヒーのカップをテーブルに置く。
「俺はお前が好きだ。誰でもよかったわけじゃない。お前だから、手を伸ばした」
でも、とロゼは言葉を続ける。
「だからと言って昨日のことで俺に非がないとは思わない。……悪かった」
見たこともないようなロゼの真剣な表情にウルリカは息を呑む。散々顔を突き合わして喧嘩をしてきたが、こんな顔も出来る男だったのか。
伝えられた言葉の意味が頭の中を一周して、ようやく理解できる。
「……わ、忘れましょ」
「は?」
しかし、伝えられた言葉を理解したのにも関わらず、口から出てきたのはウルリカ自身も思ってもみなかった言葉だった。
言われた側のロゼは先程の真剣な表情から一変、眉をひそめて訝しげにウルリカを見ている。
「きっと、気の迷い……そう、それよ! お酒の勢いでそういうことしちゃって、その気になってるだけよ、あんた」
「はあ?」
つらつらと言葉を続けるウルリカにロゼは更に眉間のシワを深めてため息混じりにそう返してきた。
「わたしも……昨日の夜はどうかしてた。だからもう、この話は終わり! わたしももう怒らないから!」
「ちょっと待てっ」
「終わりったら終わり! 蒸し返すの禁止!」
そうして半ば強制的にロゼの言葉を遮り、ウルリカは朝食を片付けた。
そうだ、なんてことはない。お酒での失敗のひとつだ、と自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返し、ロゼの告白をなかった事にした。きっとロゼも一夜の過ちに感情を振り回されているだけなのだと。
食い下がってきていたロゼもこれ以上取り合う気がないウルリカの様子に渋々といった形で溜め息をつき、食事を再開した。