2020/7/17 脱稿
ヴェインが加わったことで、卒業式の乱闘騒ぎは早々に幕を閉じた。
ウルリカの目ではほとんど追えなかったが、お互いに大技に次ぐ大技を放ち、最終的に立っていたのはヴェインだったということだけ分かった。
と言ってもグンナルが倒れたわけではなく、仕方なくといった様子で、目を回しているトニを小脇に抱えて姿を消した。その場に戦闘技術科の生徒分の卒業証書を残して。
「ふう、これでしばらくは大丈夫かな」
顔や服についた汚れを払いながら、ヴェインはウルリカ達の所まで戻って来た。
手には卒業証書の束とウルリカの魔法石を持っている。グンナルに放り投げられてからすぐにヴェインが来て戦闘が始まったので、探すことが出来なかったのだ。
「ありがとう」
「いや、こちらこそごめんね。先輩のこと、未だに止め切れてなくて」
グンナルを止める、とは一体どういうことだろうか。ヴェイン側にも何か事情があるらしい。
「今日はもう大丈夫そうだけど、またいつ騒ぎを起こすか分かったもんじゃないからね」
「ヴェインも苦労してるのね」
「……まあ、僕もいろいろと迷惑かけたからね」
魔法石と卒業証書の束をウルリカに渡すと、ヴェインは彼女の後方に目をやる。ウルリカもつられてそちらを見ると、そこには今しがた起き上がったばかりのロゼがいた。
「あ、起きた」
「ロゼは大丈夫そう?」
どうやらグンナルの攻撃を受け、壁に打ち付けられてから気を失っていたようだ。
ウルリカもロゼが後ろにいたことに気が付いていたが、外傷はそれなりにあったものの、呼吸は正常にしていたので、エクセリフュールを傷口にかけて放置していた。
「教頭は……?」
「先輩はとりあえず引いてくれたよ。ほら、卒業証書もここに」
返事をしたのがウルリカではなくヴェインだったので、ロゼは目を見開いて、ウルリカが持っている証書とヴェインを交互に見る。
「え、ヴェイン? どうして、ここに?」
状況が変わりすぎていて頭が追い付いていないらしい。思ったよりも困惑しているのがロゼの表情に出ている。
ヴェインは状況を軽く説明して苦笑いを返し、ロゼの方を向き直る。
「とにかく二人とも無事でよかった。……けど」
きりっと眉を吊り上げ、ヴェインは座り込んでいる二人と同じ目線に屈む。
そして両手を伸ばして、それぞれの片頬を摘まんで引っ張る。
「戦闘の最中まで喧嘩するのは感心しないな。これが本物の魔物に襲われてる時だったらどうするの」
手を叩いて抗議していたが、真剣な顔のヴェインに二人とも黙り込んでしまう。
ヴェインの言うことはもっともで、喧嘩なんかしている場合ではなかったのだ。それはロゼもウルリカも分かっている。
「わたしだって、こいつが話振ってこなければ喧嘩になんかならなかったわよ」
「はあ? 元はと言えばお前がおかしな行動取るからだろう」
でも自分のせいだと認めたくなくて、口から出てきたのはやっぱり否定の言葉だった。
先程目の前で咎められたにも関わらず、またも売り言葉に買い言葉で喧嘩のゴングが鳴る。
「難癖付けてんじゃないわよ!」
「つけてきてるのはそっちだろ!」
「さっき言ったこと分からなかった?」
一段と低い、聞いたことのない声にびくりと二人の肩が揺れる。
ヴェインの顔は笑っているものの、目は笑っていない。そして優しく摘ままれていた頬が更に引っ張られる。
「いひゃいいひゃい」
「喧嘩するのは構わないけど時と場所を選んでね。分かった?」
どうやらちゃんと返事をするまで頬を離してくれなさそうだ。ウルリカは壊れた人形の様に首を上下に振った。ロゼも渋々といった様子で小さく頷く。
「よし、じゃあこれでこの話は終わり」
ぱっとヴェインが手を離すと伸びていた頬が元に戻ってくる。ひりひりと痛むので、きっと赤く腫れているだろう。
ヴェストバルド村に居た頃は穏やかな印象だったが、それに厳しさが合わさって今のヴェインになっているようだ。これ以上彼を怒らすようなことはしない方が良いだろう。
「僕はこれから戻るけれど……」
言いながらヴェインは立ち上がり、二人を交互に見る。
そしてふっと表情を緩めると、手を伸ばして二人の頭を優しく撫でる。
「君達はちゃんと仲直りした方がいいよ」
その後ウルリカの腕の中にいるうりゅの頭も撫でて、ヴェインはそのまま立ち去って行った。
◇
負傷した生徒の怪我の治療が全部終わる頃には夕方を迎えていた。
ウルリカの怪我は比較的浅いものばかりだったので、ゾッカや他の生徒と協力して重症を負っている生徒の治療に当たっていた。
全員容赦なくぼこぼこにされており、最後の最後にトラウマを植え付けられたと言っても過言ではない。果たして来年からこの学校はどうなるのだろうか、とウルリカでさえ心配になってしまう。
人で溢れかえっていた保健室もようやく静かになったのでウルリカも作業から解放された。
夕陽に目を細めながら寮への道を歩いていく。先の戦闘で疲れて眠ってしまったうりゅはクロエに預けて寮に連れて帰ってもらっている。明日には寮を出て村に戻るので、少しでも休んでもらいたかったためだ。
すれ違う知り合いの生徒に挨拶をしながら寮のエントランスに入ると、そこには顔に絆創膏を張り付けたロゼが壁に背を預けて立っていた。
「げっ」
反射的に声が出てしまった。慌てて口を押えるが、ロゼにももちろん聞こえていたらしい。ウルリカを見るなり近寄ってくる。
腐れ縁なので治療はしてやったが乱闘中でさえ喧嘩をしてしまったのだ。ヴェインには仲直りをしろ、と言われたが、もはや何が拗れてこうなっているかウルリカには分からない。
「おい」
目の前まで来たロゼは手を伸ばしてウルリカを捕まえようとするので、咄嗟にそれを振り払う。ぱしん、と乾いた音が響いて、ロゼの驚いた顔が目に入る。
まずい、と思った直後に方向転換して、ウルリカは全速力でたった今、帰ってきたばかりの道を走り出していた。
背後から呼び止める声が聞こえるが知ったことか。待てと言われても止まることは出来なさそうだった。
「あいつ……!」
ロゼは苦々し気に眉を寄せ、宙ぶらりんになった手を握り締める。
振り払われた手は少しだけ痛むが、今はそれどころではない。逃げたウルリカを追いかけなくては。
この期に及んでまだ逃げるのか。襟ぐりを掴んで問い詰めたいところだが彼女の足は速い。その背中が見えなくなる前に揺れる金糸を追いかけ始めたが、ロゼよりも小柄で身軽なことを生かして、道なき道を飛んで跳ねて進んでいく。
先程歩いてきたであろう管理棟前の道を抜けて、校舎の中へ入る。階段を一つ飛ばしに駆け上がっていって、さらに廊下を走り抜ける。
見慣れた教室の横を通り過ぎ、ウルリカが向かった先は屋上だ。ロゼは目の前で閉められそうになる扉に身を滑り込ませる。
「追い付いたっ」
それでもなお逃げようとするウルリカの手首を掴み、これ以上逃がさないように強く握る。背後では扉が閉まる音がした。
「なんで、逃げるんだ」
息が上がっている。言葉を吐くのがきつい。しかしそれはウルリカも同じようで、荒い息のまま鋭い目つきでロゼを睨みつけてくる。掴んだ手には力が入り、一瞬でも油断すれば振り払われてしまいそうだ。
「あんたが追いかけてくるからでしょ」
「俺が追いかける前から逃げてたぞ」
指摘するとうっと詰まり、ぷいっと顔を逸らされてしまった。異世界での出来事があってからウルリカはロゼに対してずっとこんな感じだ。
ロゼからすればどういうことがあったのであれ、自分は誠意をもって謝ったつもりで、真剣に告白をしたつもりだ。
しかしそれをなかったことにしたいと言ったのはウルリカの方だ。ただ彼女がそうしたい、というのであればロゼに否定する権利はないと思っている。
「……あの夜のことは、俺が悪かった。許せとは言わない」
酒の勢いのまま、抵抗されなかったとはいえ、無理に襲ったと言われればそれまでだ。少なくとも同意の言葉はなかった。
避けられても仕方ないと思うが、ここまで露骨にされると段々腹も立ってくる。仮にも好きな相手にここまでの反応をされると多少傷つきもする。
「でも今日でお前とお別れなんだ。最後に変なしこりを残したくない」
今まで通り、意見が食い違って、喧嘩をして、時々協力して、笑ってみたり、やっぱり怒ってみたり。そういう関係に戻りたかった。
それを壊したのはロゼ自身だと分かっているが、そう望まずにはいられなかった。
「……勝手なこと言わないでよ」
掴んだままの手に力が入り、思い切り振り払われる。
また逃げられるのかと思ったが、振り払った手をウルリカは突き出し、ロゼのシャツの襟を掴み上げる。
「しこりを残したくないならあんなことしなきゃ良かったのよ」
ウルリカにしてはめずらしく正論が返ってきた。
「わたしだって、無かったことにしたいわよ。でも、あんたの顔見たら思い出しちゃうんだから仕方ないじゃない!」
ぎりぎりとシャツのボタンが取れそうなほど襟を握り締める。そこまでしてもロゼが抵抗しないことがウルリカにとって腹立たしい。
「今まで通りなんて無理よ。焼き付いて離れないのよ! あの時のあんたの顔とか、熱とか、全部全部!」
そう言い放ったウルリカの顔は、怒りか羞恥か、どちらとも分からないが、顔が真っ赤に染まっていた。
怒鳴られているはずなのにロゼの頭はどこか冷静で、振り払われた手をウルリカの赤い頬に伸ばす。びくり、と揺れた瞳は夕焼けの日差しと混ざって宇宙のようだ。心なしかその宇宙が濡れて潤んでいるようにも見える。
あの時と同じように頬にかかる金色の髪の毛を、赤く染まった耳にかける。襟ぐりを掴んでいた手がじわじわと緩んでいく。
先程まで威勢よく飛んできていた怒号が止まった。代わりに空いていたウルリカの手が耳に添えられているロゼの手に伸びる。火傷しそうなほど熱い。
「そんな顔で言われて、俺はどう受け取ればいいんだ」
堪えるように絞り出した声はあまりにも情けなかった。先程のウルリカと同じように逃げ出してしまいたい気持ちになる。
心臓が早鐘を打ち始めた。触れ合っている手の平が熱を分け合って、どちらの体温とも区別がつかなくなる。
「……あんた、わたしのこと、好きなんでしょ」
そうして呟かれた言葉は、果たして意図した引き金なのだろうか。
「ああ、そうだよ」
記憶のままに、同じ言葉を返す。
このままあの時と同じように唇を塞いでしまっても、彼女は何も言わないのだろうか。そんなことを考えてしまう。
「お前は?」
問いかけると宇宙色の瞳と視線がゆっくりと交わる。返事の代わりに触れ合っている手が開かれ、指を絡めとられる。
今日はへとへとになるまで戦いはしたが、酒は飲んでいない。それでもあの時と同じ状況になっているのは一体どういうことなのだろうか。
酒の勢いだから忘れろと言った張本人が、酒の勢いで行った行為を彷彿とさせる行動をとる。意識的か、そうでないのか、ロゼにはもう判断がつかない。
「……お前は、俺のこと、好きなのか?」
もう一度、確かめるように問うと、緩く掴まれたままだった襟を思い切り引っ張られた。同時に絡めとられていた手も引かれ、ロゼは自然とウルリカに倒れ込む形になる。
すっ、と触れた唇の感触は、忘れたくても忘れられなかったものと同じだった。
一呼吸のあと離れたウルリカの顔は、首まで真っ赤に染まってしまっていた。
「ええ、そうよ」
返ってきた言葉に目を丸くしていると、再び勢い任せに唇を塞がれた。
今度は一呼吸で離す気配はない。引かれた手は背中に回すよう促されたので大人しく従う。
それに呼応するようにウルリカも手をロゼの首へ回す。さっきまでの距離感が嘘のようだ。
触れ合っている肌と肌、唇と唇の温度がどんどん上がっていく。まともな思考回路が途切れて、ロゼは目の前の少女だけに釘付けになった。