個人誌web再録
2021/7/31脱稿
ロゼは疲れ切った体をベッドに投げた。スプリングが軋んで、少しだけ跳ねる。
屋上でお互いの気持ちを確認し、ウルリカから強引に唇を奪われた後。上がる体温から逃げるように彼女はロゼから離れ、真っ赤な顔のまま、屋上に来た時と同じように走り去ってしまった。
残されたロゼは上がった熱のやり場に困ったまましばし茫然と立ち尽くし、我に返る頃には夕陽もすっかり沈んだ時間になっていた。
燻る感情を抱えたまま寮へ戻ったが、ウルリカのことは見つけられていない。恐らく屋上から走り去った足でそのまま彼女の自室に戻ったのだろう。
女子寮に押し掛けてキスや発言の真意を問い質すわけにもいかない。ウルリカと気まずいまま学園を卒業したくないと思ったから話をしたのに、これでは元も子もない。
寮の自室はいつもより静かで、隣の部屋や廊下から話し声が聞こえてくることもない。いつもならまだ起きている生徒が動く気配もあるがそれも感じられなかった。明日の退寮に向けて皆早く床に就いたのか、それとも保健室から戻って来ていないだけなのか。
(静かなら、どっちでもいいか……)
ごろりとベッドを転がり、天井を見上げる。ここ一年ですっかり見慣れた木目が目に入る。
天井から壁を伝って部屋を見ると片付けた荷物が積んであった。元々物を置いていなかったので部屋の中はあまり変わり映えしない。
明日の帰路についてぼんやりと考えていると、部屋のドアが控えめにノックされた。
「……?」
ロゼに部屋を訪ねてくるような友人はほとんど居ない。しかも、退寮の前日に。
訝しみながらベッドから起き上がろうとすると、鍵をかけていなかった扉がゆっくりと内側に開く。が、その奥に誰かの姿はない。
しかし足音はする。忍び足だが、聞き覚えがあるものだ。ゆっくりと扉を閉めているらしいその人物に、ロゼは背後から近づき手を伸ばす。
扉が閉まると同時にドアノブを掴む。硬い金属ではなく、人間の皮膚の感触。
「わっ」
突然ロゼに手を掴まれた驚きで姿の見えない人物が声を上げる。その拍子に何かが滑り落ち、長い金の髪が姿を見せた。
「……なにやってんだ」
ロゼの部屋に入ってきたのはウルリカだった。彼女は大きな新緑色の瞳を居心地悪そうにあちこち動かす。
「こ、こんばんは」
「なに悠長に挨拶してんだ。ここ男子寮だぞ」
男子寮に女子は入れない規則だ。逆もまた然りで、どちらの入り口にも生徒会の生徒が立っているので簡単に入れないはずなのだが、一体どうやって潜り込んだのだろうか。
ふと、ウルリカの足元を見ると淡く七色に輝く布が落ちている。慌てて拾う彼女の手にあるそれはトレハンマントだ。
本来なら探索地で魔物から身を隠すために使用するものだが、改良して人の目にも留まらないようにしたらしい。これを被り、隙を見て男子寮に入って来たのだろう。
「なんでこんな……」
「……ちょっと、あんたに用事があって」
「俺に?」
視線の合わないウルリカにロゼは問う。夕方、一方的にキスをして屋上から走り去ってしまったのに、ロゼに用事があるとは一体どういう風の吹き回しだろうか。ウルリカのことなので、また突拍子もないことを言いだしそうでロゼも身構える。
「……あんたさ、あの日の夜のこと、覚えてんの」
自分の手元に目線を落としたまま、今度はウルリカがロゼに問う。
あの日の夜とは、間違いなくヴェストバルド村で開かれた大宴会の日の夜を指しているだろう。二人の空気がこんなに拗れてしまった原因だ。
「……覚えてるよ」
間違いなく、全て。売り言葉に買い言葉で喧嘩して、酒の力を借りてウルリカに手を出した。
情事が終わった後は高揚感と罪悪感に苛まれた。飲んだはずのアルコールがどこかへ消え失せてしまうほどに。
「わたしね、うろ覚えなの。忘れてないんだけど、覚えてもないの」
彼女が何を言いたいのか分からず、ロゼは曖昧に頷き返す。忘れよう、と先に告げたウルリカからすれば、それは願ったり叶ったりではないのだろうか。
「ねえ、確かめてみない」
ウルリカはトレハンマントを握っていた手を伸ばし、控えめにロゼの服の裾を掴む。
「触ってよ、わたしに」
たっぷり三呼吸分は時間が経っただろうか。ロゼはお得意の溜め息をウルリカに返した。
「……お前なぁ」
なんと答えたものか、正解が分からず言葉が続かなった。ウルリカは、自分がどれほど大胆なことを言っているのか理解しているのだろうか。
「いやなら、いいけど」
ロゼの服を掴む手に力が入る。ロゼが言葉を続けられなかったことに不安を感じたのかもしれない。服を掴む手にロゼ自身の手も重ね、ウルリカの顔を覗き込む。
「嫌なわけないだろ」
好きなんだから、と続けると目の前の頬が真っ赤に染まった。カウンターを決められたようで気持ちがいい。
ただ本当に手を出していいのか、ウルリカがどこまで望んでいるのか判断がつかない。確かめる、というのはウルリカが本当にロゼを好きなのかということだろう。果たして肌を重ねたところでそれが分かるのかどうか、ロゼも知り得ないところではあるのだが。
服の裾を摘まんでいた指をゆっくり剥がし、手首を引く。先程まで自身が身を沈めていたベッドにウルリカを座らせ、目線を合わせる。
部屋の明かりが彼女の新緑色の中に浮かぶ。戸惑いの中に、少しの期待が混じっているように見えた。
「お前はそうやって簡単に俺を煽るけど」
柔らかい金の髪を耳にかける。赤く染まった耳朶は火を持っているかのように熱い。
「あの時、酒の力でお前に触れたこと、俺はかなり後悔してるんだからな」
言いながら頬に触れるとウルリカは驚いたような顔でロゼを見る。視界を遮るように桜色の唇に自身のそれを重ねる。あの時と同じ、抵抗される気配はない。
一呼吸で離れてウルリカの肩を押す。簡単に彼女はベッドの上に転がり、様々な感情が入り混じった表情でロゼのことを見上げていた。
「嫌なら、言ってくれ」
ベッドの端からウルリカを見下ろし、彼女の髪の毛に触れる。柔らかい金糸が指の間をすり抜けていく。ウルリカはその手にゆっくりと触れ、小さく首を縦に振る。指と指が絡まり、彼女の顔の横で握られた。
いつもの喧嘩は始まることはない。代わりにいつもと違う空気を纏った二人がそこに居た。
◇
ウルリカとうりゅ、そしてクロエは荷物をまとめて正門で馬車を待っていた。
卒業式の翌日。これから故郷でアトリエを開くウルリカと、実家に戻るクロエ。帰る場所が同じなので、必然的に同じ馬車で帰路を共にすることになった。
「いい天気ね」
ウルリカの言う通り今日は朝から晴れており、春にしては少し気温が高く感じられる。馬車に積む荷物を用意している間も少し汗ばむほどだった。
「もう少し寒くてもいいぐらいなのに……」
元気そうなウルリカとは反対に、クロエは鬱々としていた。彼女は天気がいい日よりも曇りや雨の日の方が過ごしやすいようだ。
「長旅になるんだから天気悪いよりいいでしょ」
「ただでさえウルリカが居て暑いのに……」
「ちょっとどういう意味よ!」
隣で表情暗く零すクロエにウルリカは噛みつくが、彼女から返ってきたのは舌打ちだった。怒らせると道中で得意の《おまじない》を受けることになるかもしれない。大人しく口を閉じる。
故郷までの道のりは馬車で丸一日ほどだ。帰り着く頃にはすっかり夜になっているだろう。うりゅとの長旅も初めてなので疲れてしまわないか少し心配だった。
「なんだかんだバタバタした一年だったわね」
馬車を待つ間、ぼんやりと今までの一年間を思い返す。
一年前の春もこんな風にクロエと二人で正門を走り抜け、入学式の途中からこっそり講堂に入った。そこでトニとグンナルが喧々諤々の言い合いをしているところを見て、この学園は大丈夫なのか、と思ったこと。
そして教室に向かうまでに魔法石を落としてロゼと出会ったこと。今思えば出会い方は最悪だ。
それからも、事あるごとにぶつかり合った。卒業式直前では異世界に迷い込んだり、そこで不本意な出来事があったりしたが、それでもなんとか乗り切ってここにいる。それは、昨晩のことにも言える。
昨晩は、正直なところよく分からないまま終わってしまった、というのがウルリカの感想だった。
散々いがみ合ってきた仲だったが、触れられたところで嫌悪感はなく、むしろ心地よかったほどだ。そんなこと、口が裂けても本人には言えないのだが。
ただ、好きだ、とは言ったものの、付き合おうという話にはなっていない。事が終わった後、気絶するように眠りに落ちたウルリカは朝早く、寮の人間が起きる前に男子寮を後にした。
ウルリカが起きると同時に目覚めたロゼからもそういう話はなかった。ただ、最中の彼はウルリカを気遣い、常に寄り添うように触れてくれた。それはなんだか、思い出すだけでもこそばゆい。
(なんであんなこと言っちゃったんだろう)
ロゼの事を好きだ、と。触れられたら分かるかも、だなんて。やはりヴェストバルド村での出来事が刷り込みになっているのだろうか。
しかし例えば、それがロゼで無かったのなら。昨日も、ヴェストバルド村でも、相手がロゼじゃなかったのなら、ウルリカは同じような答えを返していただろうか。
例えば、ロゼが昨日やヴェストバルド村でのことをもし他の人にしたとしたら。ウルリカはどう感じるのだろうか。
(それって、なんだか)
――嫌だ。真っ先に出てきた感情はそれだった。
ウルリカも心のどこかでロゼだから受け入れることが出来て、応えてもいいと思っていたのだろう。散々顔を突き合わして戦ってきたのに、どうしてこんな感情が生まれてしまったのか、もはや見当もつかない。
ただ残っているのはロゼと肌を重ねた事実と、彼が好きだ、という気持ちだけだ。それさえも、ちゃんと彼に伝わっているのか分からない。
「ウルリカ」
「なに?」
思考に耽っていたウルリカをクロエの声が現実に戻す。見ると、クロエはウルリカのことを指さしていた。
「それ、結構目立つよ……」
「どれ?」
クロエの指さす先を目で追うとそこはウルリカの首だった。自分じゃ確認できない。首に触れているとクロエが手鏡を差し出してくる。
鏡に映った自分を見て、ウルリカは目を引ん剝く。
「なっ……!」
そこにあったのはあの日の朝も見た、散りばめられた赤い痕だった。虫刺され、と誤魔化すには些か量が多すぎる。
「どこで、何してきたか知らないけど、どうにかしておきなよ……」
「どうにかってっ……!」
どうにもできないことをウルリカはもう知っている。きっと痕の意味も、そしてこの痕を残した相手のことも分かってそうなクロエのすまし顔に腹が立つが、何も気が付かなかったウルリカが反論できることはない。
せめて痕が目立たないようにならないか、ウルリカは自分の首を必死で擦った。
リリアの部屋から出した荷物を馬車に積み込み、ロゼは大きく息を吐いた。
「これで最後ね、お疲れ様」
学園の教員棟からウィムと一緒に歩いてきたリリアは、額の汗を拭っていたロゼに声を掛ける。世話になった教員に改めて挨拶に行っていたのだろう。
「積み忘れは無いと思います」
「貴方を信頼しているから大丈夫よ。さ、あとは屋敷に帰るだけね」
ロゼにハンカチを差し出しながらリリアは積み込みが終わった馬車へ向かう。後ろに続くいていたウィムがリリアの通学用鞄を馬車に乗せた。
受け取ったハンカチで有難く汗を押さえる。帰ったら洗濯をするのはロゼの役目だ。
日が昇ってしばらく経つが、春にしては随分と気温が高い。ロゼはネクタイを緩め、一番上まで留めていたシャツのボタンを外した。
「汗が引いたら出発するわよ」
「はい」
三人で並んで木陰に入り、リリア達と少し離れた場所でロゼは手うちわを扇ぐ。
「なんだかあっという間の一年だったわね」
「そうですねー。いつも通り、お嬢様の我儘にたくさん振り回されました」
「そ・れ・は、どういう、意味かしら?」
失言を零したウィムのこめかみをリリアが人差し指の第二関節で刺激する。情けないウィムの泣き声が上がった。
ロゼもリリアの発言からこの一年を振り返る。
リリアに連れられて仕方なく入学した学園だったが、入学式からしてここは大丈夫なのか、と不安になったこと。
そして式の後、教室に向かう途中でウルリカの魔法石を踏んで転んだこと。それから一年間、謝るどころか難癖をつけてくるウルリカと喧嘩をする日々が続いた。それは異世界に行っても変わらなかった。
昨晩は、正直なところこれでよかったのだろうか、というのがロゼの感想だった。
異世界でのような独りよがりは許されない。それだけに彼女の一挙一動全てに気を配った。嫌悪感を露わにする気配があれば意地でも止まるつもりだった。
ただ、ウルリカには恋人同士になろうとか、そういった話はしていない。行為を経たことで許されたのか、ロゼには分からないままだった。
しかし記憶の中の昨晩のウルリカは紛れもなくロゼに対して、身も心も開いていたと感じている。彼女自身はどう受け止めているか分からないが。
彼女がロゼを好きなのかどうか、それを確かめるための行為だったはずだが、結局のところ何も理解できていないというのが事実だった。
「あら、ロゼ」
「どうしました」
考えに耽っていたロゼはリリアの声に顔を上げる。見ると、リリアはロゼのことを指さしていた。
「手、みみず腫れになっているわよ」
「ホントですね~」
リリアが指摘していたのはロゼの手の甲だった。彼女の言う通り、引っかかれたような痕がたくさん入っている。
「よく見たら首にもあるじゃない」
手の甲を確認した後、リリアが言っている首にも手を伸ばす。確かにうっすら線状に腫れているのが分かる。
こんなことをした犯人は一人しか心当たりがいない。思わず笑いが込み上げてくる。
「ど、どうしたの?」
「いえ」
首の傷に指を添え、笑いと一緒に込み上げてくる痕を付けた犯人への愛しさを噛み締める。
「気まぐれな野良猫にやられたみたいです」
そう言って笑ったロゼは、見たことがないほどやさしい顔をしていた。
「お待たせしました、行きましょうか」
リリア達を促すと、怪訝そうな顔のまま二人は馬車に向かう。
ウルリカは答えを出せたのか。知りたいのならまた会いに行けばいいだけの話なのだ。ここでウルリカとの関係を終わらせるつもりなんてロゼには毛頭ない。
帰ったらまず何から始めようか。久々に高鳴る胸を押さえ、ロゼは二人の後に続いた。