Albero
秘め事は胡蝶の夢の中

ロゼとウルリカの夢にお互いが出てくる話
R-18
2020/10/24脱稿



心地よい風が頬を撫でて通り過ぎていく。
採取用のカゴを持ったウルリカは足取り軽く、時の遊覧船を進んでいた。
学園祭も無事に終わり、もう少しで冬休みを迎える。入学した頃と比べると随分寒くなってきたが、今日は晴れているため比較的暖かい。
今日の採取の狙いは黄金のハーブだ。アトリエの在庫が減っていたので、自由時間を利用してここに来た次第だった。
採取地は時の遊覧船を半分ほど進んだところにある。魔物から採れる素材も集めながらウルリカは進んで行く。
すると採取地の手前で見慣れないピンクの花が咲いているのを見つけた。

「何これ?」

見てみると似たような花が採取地から伸びる獣道に沿うように咲いている。
花弁が細い茎から伸びて咲いているので、蝶々が止まっているようにも見えた。
白やピンクなど色が鮮やかなので、紅葉が始まりつつある木々に紛れることなく存在感を放っている。

「調合の材料に使えるかな」

花と葉をそれぞれ採ってカゴに放り込む。摘んだ花からほのかに甘い香りが漂う。
使えなかったとしても普段見かけないものを発見したので無駄足とは言えないだろう。ショップで高く買い取ってくれるかもしれない。
ウルリカは更に軽くなった足取りで採取を再開した。



人が少なくなった夕暮れ時の校庭をロゼは一人で歩いていた。
リリアの世話が今日は早めに終わったので、意味もなく校内を歩いていたら校庭にたどり着いてしまった。
昼間は暖かかったが、日が沈むとやはり少し肌寒い。着ているコートの襟を手繰り寄せる。
ふ、と校庭から正門に続く道を見ると、嬉しそうな顔をしながらウルリカが歩いてきていた。

「……」

ここで顔を合わせてしまったら、また意味の分からない因縁をつけられて喧嘩に発展するだろう。
ロゼはウルリカを見なかったことにして、彼女とは別の方向に足を向ける。

「げ、嫌味男」

彼が危機回避しようとすると、それは大体失敗に終わる。今回も例に漏れなかった。
再びウルリカの方を見ると、嬉しそうだった顔から一変、ロゼに負けないぐらい眉間に皺を寄せて睨みつけてきていた。

「何か用か」
「別に! あんたこそ、なんでこんなところにいるのよ」

ロゼがこの場に居た理由は特にないので答えあぐねていると、ウルリカはハッとして更に眉を吊り上げる。

「まさか待ち伏せしてたんじゃないでしょうね!?」
「なんでそうなるんだ……」

やはり突拍子もない考えが飛び出してきて、ロゼは溜め息を吐く。
せっかくリリアから早く離れて溜め息の頻度が減ると思っていたのに。これでは幸せが逃げる一方だ。

「たまたまだ。お前みたいに暇じゃないからそんなことしない」
「誰が暇よ!?」

そんな考えに至るということは、自分もそういうことをした経験があるのではないだろうか。
ロゼはそれを知りえないが、ウルリカなら暇を持て余した挙句、無関係の人間に絡みに行くために待ち伏せなどしてそうだ。

「わたしはちゃんと採取に行ってたのよ!」
「へえ、お前が」

採取用のカゴを見せてくるウルリカにロゼは目を細める。粗忽なウルリカなので、課題で採ってくる素材もそれほど良い物がない、とリリアから聞いたことがある。
見せてきたカゴを覗くと、見慣れない花が入っていた。トーンなどの植物系の素材が多い中、鮮やかなピンクの花は余計に目立って見える。

「これは?」

思わず手に取って眺めると、ウルリカは得意げな顔に変化し、ふふんと鼻を高くして話し始めた。

「時の遊覧船で見つけたの。今まで見たことないものだから、きっと貴重な素材に違いないわ!」

確かにロゼも見たことがない花で、遠くから見ると花弁が蝶のように見える。
ふわりと香る甘い匂いが鼻をくすぐる。嫌いじゃない香りだった。

「調合に使えなくても高く売れると思うのよね。ま、あんたにはあげないけど」
「別に欲しくない」

きっぱりと断るとウルリカは面白くない、といった顔をしてロゼの手から花を取り返した。

「なによ、どうしてもっていうなら良い値段で売ってあげようと思ったのに」
「だから要らないって言ってるだろう」

珍しいもののようなのでリリアに渡せば喜ぶだろうが、そこまでする気にはならなかった。
ウルリカもこれ以上押し売りをするつもりはないらしく、奪い返した花をカゴに戻す。

「そう。じゃあこれから欲しくなっても絶対に渡さないんだから!」
「だから……」

もう何度も同じことを否定するのも馬鹿らしく思え、ロゼは言葉を切って溜め息を返した。



ひらり、と眼前を青白い何かが横切った。
目で追うと、それは蝶だった。光沢のある青白い羽が羽ばたきをするたびにこの暗い空間で煌めく。
ウルリカが立っているのは真っ暗な空間だった。ただ、闇の中というわけではないらしく、自分の姿も、先程目の前を横切った蝶も確認することができる。
ゆらゆらと羽ばたき続ける蝶はウルリカから数歩先でその場を漂っている。引き寄せられるように一歩踏み出すと、それに呼応するように蝶も進む。

「なによ」

なんだか逃げられているみたいに感じて、今度は手を伸ばしてみる。
すると蝶は器用にウルリカの手をすり抜け、更に先を進んでいく。まるでからかわれているかのようだ。
そんな蝶の様子にむきになってしまうウルリカ。蝶が放つ光を追いかけるため駆け出した。

しばらく追いかけたところで目の前に突然見覚えのある、後姿が現れた。
蝶はその人の周りを一回りし、闇に溶け込むように消える。
彼がゆっくりと後ろを振り返って、ウルリカと目が合いそうになった。


がたん、と顔面に強い衝撃。

「いっったああ!!!」

跳ね上がるように体を起こすと、布団の上に置時計が転がった。
なんでこんなものが、と思ってベッドヘッドを見る。どうやら昨晩目覚ましをかけた後、中途半端な位置に置いてしまっていたらしい。

「もうなんなのよ!!」

悪いのは昨晩の自分なのだが、そんなことは棚に上げてウルリカは置時計を乱暴に置き直す。
置時計は朝6時を指していた。ウルリカがいつも起きる時間よりは早い。

「なによ、もうちょっと寝られるじゃない」

そう言ってもう一度布団に潜り込む。そのまま彼女が遅刻をしたのは言うまでもない。



ひらり、と眼前を白い何かが横切った。
目で追うと、それは蝶だった。光沢のある白い羽が羽ばたきをするたびにこの暗い空間で煌めく。
ロゼが立っているのは真っ暗な空間だった。ただ、闇の中というわけではないらしく、自分の姿も、先程目の前を横切った蝶も確認することができる。
これは夢か、とロゼは一人納得するように頷く。明晰夢を見るのはなかなか珍しい。
ゆらゆらと羽ばたき続ける蝶はロゼを置いていくように先へ先へ進んでいく。引き寄せられるようにロゼもその後を追いかける。

「なんだ」

ロゼが歩調を速めると、蝶も飛ぶ速度を上げる。ロゼと蝶の距離感は一定のままだ。
まさか夢の中で走り回ることになるなんて、と思いながらロゼは蝶のことを追いかけた。

しばらく追いかけたところで目の前に突然見覚えのある、後姿が現れた。
蝶はその人の周りを一回りし、闇に溶け込むように消える。
彼女がゆっくりと後ろを振り返って、ロゼと目が合いそうになった。


りりり、とベルの音が鳴り響く。
反射的に右手を横に伸ばしてサイドテーブルにあるであろう時計を探す。目的の物を捉えて掴む。
まだぼやける視界で時計のアラームを止めた。時刻を確認すると朝の6時。起きなければいけないことを認識する。

「なんか変な夢を見たような……」

先程見た夢の内容を思い出そうとしてみるが、その記憶は朧気で断片的だ。
それよりも自分の主人の世話をしなくては、と思いロゼはベッドから起き上がった。



「またぁ?」

無事に遅刻をしてトニに怒られた日から数日、ウルリカはまた同じ空間にやってきていた。
さすがにウルリカもこれが夢だと気が付いている。しかもこの夢の始まりと終わりはいつも一緒なのだ。

「またあんたを追いかけるんでしょ?」

数歩先を漂う青白い蝶に問いかけるが返事はない。
不機嫌顔でウルリカが歩き始めると蝶は一定の間隔を保ったままウルリカの先を飛び続ける。
一体どうなっているのか分からないが、いい加減同じ夢を見続けるのにも飽きてきていた。ウルリカはげんなりした気持ちで今日も蝶の後ろを追いかけていった。


しばらく歩くと見えてくるのはやはり後姿の彼だ。
蝶はここまで案内すると消えてしまう。そしてウルリカが彼に声を掛けようとするといつも目を覚ましてしまうのだ。
ここ数日と同じように背中を見せたままの彼を見て、ウルリカはハッとする。

「まさかあんたが何かしてるんじゃないでしょうね!?」

夢の中にも関わらず、ウルリカが叫ぶとそれに反応するかのように彼がゆっくりと振り返ってくる。
この光景を見るのも何度目だろうか。緩慢な動作に更に苛立ちを覚え、ウルリカは彼の肩を思い切り掴んだ。


「何か言いたいことあるならさっさと言いなさいよ!」

怒鳴りつけた自分の声で目が覚めた。そして降ってくる置時計。ここまでがここ数日の毎朝のルーティンになってしまっている。
いい加減、ウルリカの額に痣が残りそうだ。今日も時計が当たった部分を触りながら起き上がる。
起きる時間も毎回同じ、朝の6時だ。ここで二度寝をしてしまうと遅刻することはもう分かっているので大人しくベッドから抜け出す。

「全く、なんなのよ……」

何度も同じ夢を、しかも自分が目の敵にしている相手の夢を見続けていると、現実世界で出くわした時に嫌でも目についてしまう。
夢を見始めてからは遭遇していないが、同じ学園に通い、同じ寮に住んでいるのだ。何処ですれ違ってもおかしくない。
夢の中で何か言いたげにしている彼が気になる。先程叫んだ通り、何か伝えたいことがあるなら正面切って言いに来てほしい次第だ。言いたい言葉が聞けないというのは、ウルリカにはじれったすぎる。

「次出てきたら問い詰めてやるんだから」

夢の中の彼に問い詰めたところで望ましい返事が来るのか、ウルリカには分からないが、このままもやもやし続けるよりもマシだと思った。




「またか」

ここ数日、ロゼは同じ夢を見続けている。始まりも終わりも、そして目覚める時間も同じだ。
ひらひらと飛んでいく白い蝶は今日もまたロゼを置いていくように進む。それをロゼは追いかける。

「一体何なんだ」

しばらく追いかけ続けると見えてくるのはやはり彼女の後姿。いつもなら白い蝶は彼女の周りを舞った後、闇の中に消えていく。
しかし今日は違った。ロゼが彼女を視認すると蝶はロゼへ向かって飛んできて、彼の視界を奪う。
目の前が真っ白になる。誰かが近づいてくる気配だけを感じていた。


次に目を開けると、目の前に吸い込まれそうな翡翠色の瞳があった。

「っ!?」

驚いてのけぞるが、相手がロゼの腰に手を回しているため、思ったよりも距離が空かなかった。
かつてこんな近い距離に彼女を見たことがあっただろうか。夢だと分かっていても混乱してしまう。
そもそも彼女の手が自分の腰に回っている状況がまずありえない。現実世界なら0.5秒後には喧嘩が始まっているだろう。

「な、んだ」

じっと見つめてくる翡翠色の瞳に問いかけるが、返事はない。
それどころか見たことないような柔らかい微笑みを携え、ゆっくりと右手をロゼの左頬に伸ばしてくる。
ひんやりとした指先がロゼの頬に触れる。止めようと手に力を入れてみるが動かない。
頬に伸ばされた手はゆっくりとロゼの顔の輪郭を滑り、左手と一緒に首に絡まる。
戸惑ったままのロゼに臆することなく、彼女はそのままゆっくりと顔を近づけてきた。


りりり、とベルの音が響く。
反射的に手を伸ばしてサイドテーブルの目覚まし時計を止めた。心臓がばくばくと脈打っている。
最初に彼女が出てくる夢を見始めた時は朧気だった記憶が、今日はやたらと鮮明だ。
無意識に夢の中で触れられた頬に手を伸ばす。ロゼ自身の手は寝起きだからか温かく、夢の中の彼女とは全く違うのだと思い返す。

「何やってんだか……」

まさか目の敵にされている相手の夢を見るとは。元々夢見がいい方ではないが、これは色んな意味で心臓に悪い。
学園内で遭遇した時どんな顔をすればいいのだろうか、と柄にもない事を考えてしまった。




「もういい加減にしなさいよ!」

ひらひらと目の前を舞う蝶にウルリカは開口一番そう怒鳴りつけた。
夢を見始めてから10日ほど。何か言いたげな彼は相変わらずで、言葉を聞く前に目覚めてしまう。
現実世界でもいい加減寝不足になりがちだ。授業中も舟を漕いでいることが増えた。(彼女が日常的に居眠りをしていることは考えないことにする)

今日こそは捕まえてやろうとすぐさま蝶に手を伸ばすが、やはりひらりと躱されてしまった。
先を飛んでいく青白い蝶を追いかけると、早々に現れる彼の後姿。

「ここで会ったが百年目! 覚悟しなさい!」

癖で自分の腰に手を伸ばしたが、いつも携帯している魔法石はない。夢の中はそこまで反映されないらしい。
武器が無くてもやることは変わらない。蝶が彼の周りを舞うのを目の端に捉えながら、ウルリカは拳を握り締めて駆け出す。
すると、いつもは闇に溶けていた蝶がウルリカに向かって勢いよく飛んでくる。

「えっ」

不意を突かれたウルリカは反射的に目を閉じる。瞼の向こうが真っ白に染まっていき、チカチカした。



目の前に、驚いた表情の彼女が居た。
組み敷くように地面に付いた腕の間に彼女を閉じ込めている。
一体何が起こっているのだろうか。ロゼがここ10日ほど見続けている夢に来ていることだけは分かる。
数日ほど前から、彼女とは思えないが、間違いなく彼女である人物と触れ合う夢を見るようになった。
これはその延長線なのだろうか。ならばロゼ自身が抵抗しようとしたところで、結果は何も変わらない。

「なにするの」

すると彼女の声が響く。いつもの怒った声ではなく、純粋な疑問を投げかけるような口調だ。
ロゼが無言のままでいると、彼女はやはり手を伸ばし頬に触れてくる。その手はほんのり温かい。
そしてロゼの首へ手を回し、ぐっと力を込めてくる。
二人の息がかかるほど、顔が近くなった。

「なにするんだ」

ロゼの口からも、彼女と喧嘩する時には発しないような声が聞こえる。ロゼ自身、頭を抱えたくなるほどやさしいものだった。
彼女はふふ、と笑うと翡翠色の瞳を閉じる。鼻先が触れ合う。
近づいていたお互いの唇が重なるまでそう時間はかからなかった。



重なった唇から強烈な熱さがウルリカの身体を巡った。
首の後ろがひりつく。離れようとするが、体が言うことを聞かない。
それどころか勝手に彼の首に絡めていた自身の手に力がこもる。まるで彼を逃がさないかのように。
少し離れては何度も交わされる口づけに頭がくらくらしてきた。頬に熱が集まっていくのが分かる。

「ね、あつい」

散々目の敵にしてきた相手に、されるはずのない行為をしているのに、感じているのは嫌悪感よりも心地良さだった。
自身の思考が消えていくような感覚。ウルリカはそれに身を委ね、じっと群青色の瞳を見つめる。

「俺もだよ」

離れていた唇から放たれた言葉を押し流すように、彼はまた唇を重ねた。
今度は触れるだけではない。半開きの口に彼の舌が侵入してくる。唾液が零れ、口の端から伝っていった。
舌と舌が交わって、今まで味わったことのない感覚に背中がぞわぞわする。
このまま続けていたらどうなってしまうのだろうか。絡ませていた手からじわじわと力が抜けていく。
すると彼はウルリカの唇から離れ、緩んだ彼女の手を取り、自らの目の前に持ってくる。

「なあ」

湿っぽく、喉の奥からゆっくりと熱が込み上げてくるような声で呼びかける。

「触れても、いいか」

返事を聞く前に、彼は目の前にあるウルリカの指先を、唇でなぞった。



りりり、とベルの音が響いた。
音源元に手を伸ばすよりも先に跳ねるように体を起こした。くらくらとする視界を取り戻すように、ロゼは数回瞬きを繰り返す。
落ち着いたところで、ひとつ、深呼吸をしてからいつも通り目覚まし時計を止めた。

「……なんて夢を見てるんだ」

今までは夢を見ても朧気だったのが、彼女の顔がはっきり見え始めてからは、記憶の残り方も鮮明になった。ぼんやりしているとどちらが夢か現実か、分からなくなるほどだ。
ただ夢の状況が状況なので間違うことはなさそうだが、油断しているとふとした時に頭を過りそうで怖い。
ロゼ自身も年頃なので、そういう情事に興味がないわけではないが、相手が相手だ。

「なんでよりによって」

これ以上、自分が頭を抱える問題を増やさないでほしいと願うばかりだった。



そこから二人が見る夢は段々とエスカレートしていった。
それぞれの蝶に誘われる様に行った先で相手が待っていて、気が付けば恋人のような行為が始まる。
間違いなくお互いの口から発せられている声なのに、自分自身が望んでいない言葉を紡ぐ。
毎晩のように繰り返され、徐々に相手に触れる感覚もリアルになってきた。
思考がふわふわしているのは相変わらずだが、起きても感触が残っているのは奇妙だし、果てしなく居心地が悪い。


「もうどうなってんのよ……」

げっそりとした顔でウルリカは教室の机に突っ伏した。
毎日眠っているはずなのに、例の夢のせいで全く寝た気がしない。毎朝起きたら異常なほど疲れていて、心も体も休まっている気がしない。

「ねえ聞いた?あの噂」
「あれでしょ、夢を見れるってやつ」

後ろの席に座った女子生徒が話をしている。現在進行形で夢に悩まされている身なので、ウルリカは思わず聞き耳を立ててしまう。

「そうそう。ある花の匂いを嗅ぐと、好きな人との夢が見れるってやつ」
「でもめずらしい花なんだって。もう今は刈り取られてなくなっちゃらしいけど」
「勿体ないよね。錬金術と合わせればもっとすごい効果が得られそうだったのに」

何故かとても身に覚えがあるような話だ。ウルリカは突っ伏していた頭を起こして後ろを振り返る。

「今の話、本当!?」
「わっ、ど、どうしたの」
「いいから!教えて!」

鬼気迫るウルリカの圧に負け、女子生徒たちは話を続ける。

「噂だけどね。今の時期、特定の場所と時間帯にしか咲かない、蝶々みたいな花があるんだって」
「その花の匂いを嗅ぐと好きな人が出てくる、現実みたいな夢が見れるの。まあ実際試した人は聞いたことがないんだけど……」

今の時期にしか咲かない、蝶々のような花。ウルリカには覚えがある。時の遊覧船で見つけたあの花だ。
摘むときに意図的にではないが、香りも感じた。まさか夢の原因はあの花なのだろうか。

「それ、見たくない夢を見ちゃった時はどうすればいいの!?」
「さあ……花だから枯れるまで待つしかないんじゃないかな?」

それなら香りもなくなるからね、と女子生徒が付け加えた言葉を聞き終わらないうちに、ウルリカは教室を飛び出していた。
これからまだ授業が残っていたが、それどころではなかった。


アトリエの扉を開け放ち、真っ先に素材コンテナへと向かう。
そこにはまだ枯れ切っていない、蝶々のような花が残っていた。結局調合にも使えず、けれど勿体なくて売ることも出来ず、コンテナに押し込んでいたのだ。

「こいつのせいだったのね!?」

見たくもない夢を見続け、そろそろノイローゼになりかけていたところだ。ウルリカは入っていた花を全て掴み、錬金釜の方へと向かう。
そして釜の中ではなく、その下の火に向かって一気に花を放り投げた。
瞬間、強烈な甘い香りがウルリカを包む。勢いよく吸ってしまって咳き込み、目からは涙が零れた。
しかし香りがあったのも一瞬で、花が半分ほど消し炭に変わるとそれも全く無くなってしまった。

「はあ……でも、これであんな夢、見なくて済むのね」

ほっと胸を撫でおろし、ウルリカはアトリエを後にした。女子生徒が言っていた「好きな人の夢を見る」という話については、頭からすっかり抜け落ちていた。



ふわり、と金色の髪の毛が頬に降ってきた。
視線を上げると、ここ二週間ほどであまりにも見慣れてしまったウルリカの翡翠色の瞳と目が合った。
またあの夢を見ているのか、とロゼが考えていると、ウルリカは彼の襟元に手を伸ばして、シャツのボタンに手をかける。
いつもならお決まりの蝶を追いかけて、ウルリカとの情事に至るのだが、今日はどうも様子が違うらしい。
ゆっくりと、一つずつ丁寧に、その細い指先でボタンを外し、ロゼの素肌を暴く。

「いや、何やって」

反射的に伸ばした手は自然と動いて、ウルリカの細い手首を掴んだ。
体が自由に動いたこと、そして思った通りの言葉が口から出たことにロゼは驚く。
ウルリカは掴まれた手とロゼの顔を交互に見る。困ったように眉尻を下げる表情は、現実ではあまり見る機会がない。

「離して」
「駄目だ」

体の自由が効くのであれば、大人しくしている理由はない。ロゼの手を振り払おうとするウルリカの手首を強く握る。
不可解な点は他にもある。周りの様子が違うのだ。
今までは真っ暗な空間に放り出され、蝶を追いかけた先で訳も分からず情事が始まっていた。
しかし今二人が居るのは寝台の上だ。ロゼの背中には柔らかいシーツの感触がある。
更に言えば空間にも見覚えがある。あの天井はロゼが毎日見ている寮の自室のものだ。

「なんで急に……」

今までの夢もやたらリアルだったが、空間や状況が非日常だったので、油断しなければ記憶を混同することもなかった。
しかしこれが今までの夢と同じく、状況は非日常とはいえ、鮮明な記憶が残るのだとしたらいよいよ現実との境が怪しくなってしまう。

「もう、いい」

あれこれと考えを巡らせていると、ウルリカは掴まれていない手で空気に晒されているロゼの肌に触れる。
思ったよりも冷たい彼女の指先が、ゆるりゆるりと肌を伝い、奇妙な感覚が生まれる。

「おい、やめろ」
「なんで」
「なんでって――」

居心地の悪さと羞恥で反抗するロゼを黙らせるかのように、ウルリカは掴まれた手を引き寄せ、彼の指に舌を這わす。
ぴくり、と反応して緩んだロゼの手を、今度はウルリカが逃がさないように強く掴む。

「ねえ、なんで」

ゆるりゆるりと指の腹から指先を回って、指の間へとウルリカの赤い舌が移動していく。
状況も相まってそれがかなり扇情的に見え、ロゼの顔にも熱が集まっていくのが分かった。

「おかしい、だろ、こんなの」
「でも夢なんでしょ?」

何故か彼女もこれが夢だと理解しているようだ。ロゼが無意識のうちに考えたのが、夢の中のウルリカに反映されたのだろうか。

「それでも、だ」

顔を合わせれば喧嘩ばかりしている相手と、何故こんな行為をしなければならないのか。
夢の中とはいえ、それがウルリカを蹂躙して良い免罪符になってはいけない。そのぐらいの理性はまだ残っている。

「よくわからないけれど」

言いながらウルリカはロゼの手を引き寄せ、自身の胸元へと持っていく。
ロゼの手の平にやわらかい感触が伝わる。

「あんたが、望んでるんでしょ。わたしに、触れること」

まるで麻薬のように、ウルリカの言葉がロゼの頭の中を侵していった。



散々言い訳を繰り返したのに、堕ちるのは一瞬だ。
気が付けばお互い荒い息を繰り返しながら身を交わらせていた。
体にまとわりつく汗も、もはやどちらのものか分からない。組み敷いたウルリカが潤んだ翡翠色の瞳でロゼを見上げる。
それさえもロゼの劣情を煽り立てる。声を漏らす口を塞げば、びくりと彼女の身体が揺れた。
言葉になっていない甘ったるい声が、塞いだはずの唇の隙間から漏れていく。
頭を抱えるように腕を動かすと、ウルリカの手がロゼの方に伸びてきた。そのままぎゅっと脇の下から肩を掴むように腕を回される。密着度が増した気がする。
腰を揺らすたびに官能的な音が部屋に響く。もはやどちらの体液かも判別できないところまできている。
短い呼吸を繰り返すウルリカも、彼女と交わっているロゼも、お互い限界が近いのが分かっていた。
更なる快楽を得るために、ロゼの動きが速くなる。会わせてウルリカの声もどんどん高くなっていく。
言葉もなく、ただひたすら欲望のままに体を交わらせ続ける。
大きな波のような感覚と共に、彼女の最奥へと情欲の塊を吐き出す。
同時にウルリカも体を痙攣させ、ロゼの肩に回していた手をぎゅっと握り締め、とろけそうな声を放つ。
自身を抜き去り、ぼんやりとした表情のウルリカの隣に倒れ込むように転がると、ロゼはそのまま意識を手放した。



はっと目を開くと、今まさに降ってこようとする目覚まし時計が視界に入った。
素早く手で顔を覆ったが遅かった。ごとん、と鈍い音がして額に痛みが走る。

「いっっっったあ……」

ふつふつと湧いてくる怒りに任せて時計を壁に投げつけそうになるのを、寸でのところで思い止まる。
時刻を確認すると朝6時。やはりこの時間か、とウルリカは深い息を吐きだした。
夢を見続けた中でも、一番とんでもないものを見てしまった。
思い出したくもないのに、くっきり鮮明に覚えている。何故ウルリカがロゼとあんな行為をしなくてはいけないのだろうか。

「っていうか、花は燃やしたのになんで!?」

昼間の間にアトリエでひとつ残らず燃やしきったはずだ。コンテナの中も確認したので間違いない。
まさかどこかに残っているのだろうか。それならばまだ夢を見続けることになるのだろうか。
そこまで考えてウルリカの顔が青ざめる。

「いやいや、勘弁してよ!」

あんなもの毎日見せられたらおかしくなってしまう。日常生活に支障が出るどころの騒ぎではない。

「もう一度確認しなくちゃ」

もうあんな夢は二度とごめんだ。まだ朝早いがアトリエに向かって早急に花の所在を確認しなければ。
ベッドから立ち上がろうとしたウルリカはやけに寒いことに気が付く。
自分の身体を触ってみると、寝間着のボタンが全て外れており、体の前面が丸見えになっていた。加えて下半身は下着しか履いていない。

「えっなんで!?」

道理で寒いはずだ。しかしウルリカは寝ている間に服を脱いだりする癖はない。
寝る前はアトリエであの花を燃やしきったことに安心して眠ったはずだ。ちゃんと寝間着を着たことも覚えている。
何故か嫌な予感がして洗面台へと駆け込み、鏡を見る。
そこに映っていたのは肌が見える部分に赤い痕がまき散らされたウルリカの姿だった。

「っっ!?」

あまりの衝撃に声にならず、喉の奥で言葉が引っかかってしまった。
まさかそんなはずはない、と思いたい。しかしこの体中に散らばる情事の痕はなんなのか、その説明がつかない。
ふ、と昨日の女子生徒との会話がよみがえる。

「好きな人との、夢って……」

昨日はようやく夢から解放される一心で気に留めていなかったが、そういえばそんなことを言っていたような気がする。
それはすなわちウルリカがロゼを好きだ、ということに他ならない証明になってしまう。

「う、うそ!?」

一気に顔が熱くなる。鏡に映るウルリカの顔も真っ赤に染まっている。
まさかそんなはずはない、と考えるこの思考ももう何度目か分からなくなっていた。絡まった思考がまともな答えにたどり着けそうにない。
へなへな、と足の力が抜けたウルリカは、そのまま洗面台の下にしゃがみ込んでしまった。



目覚めた瞬間から酷い疲労感だった。
文字通り頭を抱えたくなる夢を見てしまった。鳴り響く目覚まし時計を叩いて止める。
ゆっくりと起こしたロゼの身体から寝間着のシャツが滑り落ちた。
冷たい空気がロゼの肌を刺す。何故寝間着が脱げているのか。
疲労感が勝って回らない頭で考えるが、答えは出ない。やけに背中がひりひりしているのが気になった。

「昨日、何かしたか……?」

怪我をするようなことをした覚えはないのだが、明らかに傷を持っている痛みだった。
半裸のままロゼは洗面台へ向かい、背中を鏡で確認する。
ロゼの背中には、まるで猫に引っかかれたかのようなミミズ腫れの痕が細かく広がっていた。

「……どういうことだ?」

昨日はこんな怪我するような作業をした記憶はない。いつも通りリリアの世話をして自室に戻っただけだ。
そこまで考えて、夢の内容が蘇える。
過激な夢だった。今までも危ういところは何度もあったが、情事を最後まで行ったのは昨日が初めてだ。
夢の内容は忘れようにも忘れられない。ウルリカに触れた感触もよみがえり、少し居心地が悪い。

「まさか、な」

夢の中で抱き締めたウルリカは、呼応するようにロゼの背中を抱いていた。
この記憶が現実ならば背中の傷の説明もつくが、明らかに夢だ。現実に同じことが起こっているはずがない。
理由も分からない背中の傷、酷い疲労感、そして過激な夢の記憶。全てに蓋をしてロゼは溜息を零した。


それから二人がお互いの夢を見ることはなくなった。
あの夜の情事が夢だったのか、現実だったのか、知っている人は誰も居ない。
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