2022/1/23脱稿
今日の探索は関門の魔物を二体ほど倒したところで終わりとなった。地図を見る限り、マナの聖域全体の探索範囲は半分といったところだろうか。
学園に戻って来た一行は教頭室で解散し、ウルリカは自室に戻らずアトリエへと向かう。
魔物が落としていった調合書が手に入ったので装備の強化ができそうだった。調合書はリリア達と共有しなくてはいけないので、さっさと自分に見合う物だけ作り切ってしまおうと思ったのだ。
うりゅを抱えたまま真っ暗なアトリエに足を踏み入れる。一日誰も居なかったからか、アトリエの中は冷え切っていた。腕をさすりながら調合釜に近寄る。
いつもなら朝一でぺペロンが調合釜の準備までしてくれているが、今日は早々に呼び出されたため作業を行っていなかったようだ。
「……めんどくさいわね」
今から改めて火を起こして安定するまで待っていたら夜になってしまう。もうすでに夕暮れを迎えつつあり、明日も朝から聖域探索の続きだ。そんなことしている暇はない。
ウルリカはアクセサリの入っているコンテナへ向かい、中から炎の円環を取り出し指にはめる。そして口の中で呪文を唱えて発動させる。
「フラムゲイズ!」
調合釜の下にある薪に向かって手をかざすと、一気に薪が燃え上がる。置いていた分が丸ごと炭化しそうだったので慌てて追加する。
自分で一から火を起こすよりも数倍早く釜に火が灯る。初めての試みだったが思っていたよりも上手くいった。
「最初からこうすればよかった」
炎の円環を取り外してコンテナへと戻す。抱えていたうりゅを見ると眠たそうに目をこすっていた。
「うりゅ、眠い?」
「う……へいき」
健気に目を開けようとしているが、まばたきの回数が多い。くすり、と笑ってウルリカはうりゅの頭を撫でる。
「眠かったら寝てていいよ。わたし、まだ作業するから」
「う、わかった……」
するとうりゅはウルリカの腕からふわりと飛び上がり、ソファの上にあるうりゅのお昼寝ベッドへ向かう。ウルリカが帰る時間まで眠るのだろう。
調合はうりゅの力を借りなくても大丈夫だ。ウルリカは持ち帰ってきた調合書のページをめくる。
すると背後でアトリエの扉が開く音が聞こえた。
「あれ、ウルリカ……」
入ってきたのはクロエだった。手にはいつもの黒い魔導書と小さな木箱を持っている。
「クロエ。寮に戻ったんじゃないの?」
「ご飯食べてきただけだよ……。食堂閉まっちゃうから」
「あ、そうだ。わたしも早く行かないと」
手に入ったばかりの調合書で装備を新調することしか考えていなかった。そういえば探索中に軽食を摂ってから何も食べていない。
ようやく食事を思い出したウルリカの様子にクロエは溜め息を吐く。持っていた木箱をコンテナの近くに下ろし、魔導書を開く。
「早く行っておいでよ……その間にお薬完成させとくから」
「あっそうよ薬! さっさと作りなさいよね」
今日の探索中に素材が全部揃ったことでようやくクロエは薬の調合に取り掛かってくれるようだ。
しかしそれがクロエにとっては大層不満ならしく、大袈裟に肩を落とす仕草を見せる。
「私は別に困ってないのに……」
「わたしが困ってんのよ!」
散々な目に遭わされているウルリカの身にもなってほしい。
うりゅがソファで寝ていることを伝え、ウルリカはアトリエを飛び出して寮に向かった。
食堂からアトリエに戻るとクロエが調合釜をかき混ぜているところだった。
「できた?」
「もう少し……」
隣に並んで釜の中を覗き込む。嗅ぎ慣れない匂いが鼻を刺す。色もどういうわけか、クロエがかき混ぜるたびに濃い茶色から薄い青に変化するのを繰り返している。
「これ、本当に合ってる?」
「要らないならここでやめるけど……」
「いや、いる。いるから」
これを飲むなりなんなりしなくてはいけないのか、と思うとげっそりしてしまう。呪いをかけられた時は粉を振りまかれただけだったので、今回も同じようになればいいのだが。
「そもそも、今回の呪い、わたしあんまり納得いってないんだけど」
クロエはなりたい自分になれる、と言っていた。しかし変わったのは何故かロゼの方だった。
今までも呪いを受けた本人じゃなく、周りに影響が出ることはあったが、クロエの口ぶりからするとウルリカ本人に変化があってもおかしくなかったと思うのだが。
「呪いじゃなくておまじないだけど……ウルリカはどうなってほしかったの?」
「どうもならないのが一番よ」
凶悪さだけが売りの呪いなど貰わないに限る。
クロエは釜の中から薬を掻き出しながら言葉を続ける。
「あの時はおまじないが効きすぎちゃったかも、って思っただけだけど、違うんじゃないかって……」
「どういうこと?」
「なりたい自分になれるって、ウルリカ自身が望んだ姿じゃなくて、その姿になるために周りが変化する、ってことかな」
二人の間に沈黙が流れる。ウルリカはクロエが何を言っているのかさっぱり分からなかった。
その様子は言葉にしなくてもクロエに伝わったようで、心底呆れたと彼女の顔に書いてある。
「元々、あのおまじないは使った本人が変化する効果があって、おまじないが正しく発動してるならウルリカがおか
しくなるはずなんだよ……元からちょっとおかしいけど」
「一言余計よっ」
話を聞きながら、さりげなく放たれる毒舌にウルリカは噛みつくがクロエはお構いなしだ。
手元では作業を続けている。振りかけられた粉が入っていたような小瓶に怪しげな薬を流し込む。
「多分なにか、ロゼ君にも影響が及んじゃうきっかけがあったんだと思う……。ウルリカ、覚えてない?」
「きっかけ?」
きっかけも何も、突然ロゼがウルリカに対して優しくなったということしか分からない。
ただ、言われてみればウルリカも何か、自分じゃ思いもよらないことを言ったような気もしなくもない。
「あれ、」
そういえば、恋人になろう、と持ち掛けたのはウルリカの方からではなかっただろうか。
ロゼの変わりようが大きすぎてすっかり失念していたが、もしかしたらきっかけを作ったのはウルリカなのかもしれない。
「でも、あれは全然本心なんかじゃないっ!」
あの時、ロゼに「付き合ってみないか」と言ったのはウルリカだ。
しかし発言したウルリカ本人でさえ自分の言葉に驚いていた記憶がある。決してウルリカ自身が望んだ提案ではなかったはずだ。まさかそれが、呪いのトリガーだというのだろうか。
「そう、それはどっちでもいいけど……」
薬を入れた小瓶をクロエは手に取り、ウルリカに向かって差し出す。
「私がおまじないをかけたのはウルリカに対してだから、これを自分に振りかければ全部元に戻ると思う……ウルリカがそれを望むなら、だけど」
「それしか望んでないわよっ!」
差し出された手からウルリカは小瓶をひったくる。
「じゃあ、薬は作ったから……あとは好きにして」
おまじないの分析も終わったからか、クロエは興味無さそうに目を伏せてアトリエを出て行った。
残されたウルリカは手の平に収まる小瓶を見つめる。先程見た釜の中ではどろどろに溶けた液体だったのに、今はすっかり粉体になっている。小瓶を揺らすたびに中の粉の色が変化するので、見ていると目が回りそうだ。
「これをかければ、終わり……」
待ち望んでいた物が手中にある。それが分かっているのにどうしてか手が動かない。
あれほど早くこの状況から逃れたいと思い続けていたのに。あと手を一振りすればそれが解決できるところまできているのに。
どうしても脳裏をよぎるのは好敵手である男の顔だ。優しそうにウルリカを見つめる表情と、いつも見せる冷ややかな表情が交互に思い浮かんでは消えていく。
「……」
きっと、それなりに関わったことがある異性に、少し優しくされたから戸惑っているだけだ。今までそんな経験をしてこなかったから、どうすればいいのか分からないだけなのだ。
ウルリカは意を決して小瓶の蓋を開け、中身を自身の体に振りかけた。
***
翌朝、顔を合わせたロゼはいつも通り、ウルリカを見るなり溜め息を吐いた。
「人の顔見て溜め息吐かないでくれる?」
「相変わらず能天気そうな顔してんな、って思っただけだ」
「誰が能天気ですって!?」
もはや懐かしさすら感じる嫌味にウルリカはすぐさま反応する。慣れ親しんだロゼに戻っている。解呪は成功したのだろう。
いつも通りの二人の様子に他の仲間も一安心したようだ。そのまま勢いでロゼに勝負を仕掛けようとするウルリカをぺペロンが掴んで引き下がらせる。
そんなウルリカの様子を呆れたようにロゼは見た後、リリアの元まで下がり彼女と何か会話している。大方この二日間の事情を説明しているのだろう。
リリアの隣に居るロゼは、あまりにも違和感がない。
学園生活の中で各々を一人で見かけることもあったが、主従の関係でアトリエが同じということもあり、基本的には一緒に行動していた。
この二日間がおかしかっただけなのだ。ウルリカの隣にロゼが並んでいる状態なんて。
「おねえさん?」
ぺペロンに声をかけられウルリカは我に返る。見上げると両肩を掴んだままのぺペロンがウルリカの顔を覗き込んでいた。
「な、なに?」
「なんか元気無さそうだったから。どうかした?」
「別に! やっとクロエの呪いから解放されてむしろ気分が良いぐらいよ」
素知らぬ顔をしているクロエを睨みながら言い放つ。が、彼女は鬱陶しそうに眉をひそめるだけだった。あまり効果はないらしい。
「集まったならさっさと行こうぜ」
「そうだな。話なら歩きながらでも出来る」
エナとユンが促したことにより、一行は再びマナの聖域へと足を踏み入れた。
新調した魔法石のストラップの使い心地はまずまずだった。
暁・プロミネンスと銘打たれたそれはウルリカの魔力に応じて伸縮する。
今まで使っていたストラップはある程度長めに作り、手元で伸ばし幅を変えていた。が、これなら瞬時に手元に戻すことも敵の目の前まで飛ばすことも可能だ。ここにきて戦術の幅が広がったのは嬉しい。
四か所目になる関門を守る魔物、エンシェントドラゴンは体も大きく、繰り出す技の範囲も広い。素早く隙を突くためにもストラップはなかなか活躍してくれている。
グレイシエイションを阻止するようにリリアとウィムに向かって放たれた技のカバーに入る。魔法石を回してスピリットバリアを展開する。魔法属性の攻撃なので無効化が可能だ。
「まだまだ!」
リリア達が後衛に下がってしまったのでグレイシエイションは途切れてしまったが、ウルリカの攻撃はドラゴンにもある程度通じる。魔法石に魔力を集めてハンマー型に変化させる。
走りながらストラップを引き寄せ、思い切り振りかぶる。
「そーぉれ!!」
前線で戦っていたぺペロンの力を借りてウルリカはハンマーを持ったまま大きく跳ぶ。そのまま重力を利用してドラゴンの頭にハンマーを叩き込む。
ドラゴンが一瞬怯んだことを確認して牙をむき出しにしている顔を思い切り蹴る。空中で体を捻り、元の場所に着地した。
「あなた無茶しすぎよ!」
「うるさいわね、大丈夫よ」
後衛からリリアがウルリカの行動を注意するがお構いなしだ。実際、ドラゴンは多少怯んでおり、その隙にウルリカと入れ違いでユンが炎手拳、エトがチャクラムを連続で叩き込めている。上手く連携に繋げたのであればそれで良い。
リリアの隣ではクロエがおまじないの本を広げて何か呟いている。詠唱の長さから魔物の弱点を確実に突くものだろう。この調子ならそう時間もかからずに討伐完了となりそうだ。
「ねーちゃん!」
魔法石を元の形に戻しながら次はどこから攻撃を仕掛けようか考えていたら、背後からエナが叫ぶ。
エナが指さす上空を見上げると空から真っ白な光の帯がウルリカ目掛けて落ちてきていた。
ヘブンリィベルだ。技の範囲が広いため、ウルリカを狙っているとしても近くにいる仲間も食らってしまうだろう。
「くっ!」
すぐさまエレメントバリアーの準備をするが間に合いそうにない。
ウルリカ一人ならスピリットバリアを張れば凌げるが、それではエトやユン達を巻き込んでしまう。
かと言ってウルリカが下手に動けば後衛に下がっている仲間にも被害が及ぶかもしれない。その場で耐えるか、直前で避けるか。
「こうなったら――」
ウルリカは魔法石を抱きかかえ、傍を漂っていたうりゅを見つめる。
「お願い、力を貸して!」
意を決したウルリカはうりゅの手を取り、幼いマナの強大な力を開放する。
「まさか、マナの力で相殺するつもりかっ」
エトを抱え、技の範囲外に出ようとしていたユンが驚いて背後を振り返る。
瞬時に膨れ上がったウルリカの魔力はうりゅに全て吸収されていく。小さな白いマナの姿が恐ろしい力を持つマナへと変わっていく。
「無茶だよおねえさん!」
「お嬢ちゃん下がってくるんだ!」
ぺペロンとゴトーも技の範囲外から声をかけてくるが最善策はこれしかないだろう。うりゅの力を使わなければならないのは痛いが、被害を最小限に済ませることが第一だ。
「うりゅ、お願い!」
声を張り上げてうりゅを促すと、その体から伸びている水晶のような槍が動き始める。これを放ちヘブンリィベルに当てることで相殺が可能だろう。
ぐっと握り締めていた手を振り上げ、発射の合図を告げようとした時。
「馬鹿な真似はよせ」
振り上げた手に一回り大きな手が重なる。
驚いて隣を見上げるとロゼが立っていた。彼はウルリカの顔を見ると真剣な表情のまま再び口を開く。
「お前のマナの力、借りるぞ」
「えっ」
重なっていた手が離れたかと思うと、うりゅに分け与えていたウルリカの魔力がロゼの方に流れ始める。
うりゅの姿が元の小さな白いマナに戻っていくのと同時に、ロゼの背中にうりゅの本来の姿と同じ水晶の槍が伸びていく。ロゼが持っていた光の剣を丸ごと包むように白い毛で覆われた大きな黒い爪が現れた。
「貫け!」
爪を天から降ってくるヘブンリィベルに向かってロゼは突き出す。
掲げた手から雷とも魔法とも判断が付かない、眩い光が轟音と共に空に解き放たれ、ヘブンリィベルとぶつかり合って衝撃波をもたらした。
「くっ」
衝撃波と共に発生した爆風に耐えられず、ウルリカは腕で顔を庇う。
地鳴りのような振動がしばらく続き、強烈な光が収まったかと思うと、腕の形が元に戻ったロゼがウルリカの隣に戻ってきていた。
「無事か?」
いつもの顔でロゼは光の剣を構え直す。
ウルリカ達の頭上からエンシェントドラゴンが放ったヘブンリィベルは消えていた。範囲外に逃げていた仲間もけがはないらしい。
「な、なんて無茶すんのよっ」
自分がやろうとしていたことは棚に上げ、ウルリカは何食わぬ顔をしているロゼに言い放つ。
まさかあそこでロゼとウルリカ――正確にはロゼの光の指輪とうりゅの力を使った協力技を放つとは。恐らくうりゅの力だけでも相殺は可能だったはずだ。ウルリカもそれを確信してうりゅの力を借りようとしていたのだ。
にわかに怒っているウルリカを見て、ロゼは相変わらずの表情で溜め息を吐く。
「今まさに、仲間に止められようとしてたお前にだけは言われたくないな」
正論を返されれば黙るしかない。ぐっと詰まってウルリカはうりゅを抱き締める。
「だ、大体! うりゅの力があれば別にあんたなんて居なくたって――」
「分かってるさ。マナの力を借りるためにお前の魔力が無くなることもな」
反論しようとしていた口が開いたまま、言葉が出てこなかった。
それは誰にも言ったことがなかったはずだ。言えば、今回のように使うなと止められると思っていたから。
「なんで、知ってんのよ」
「全員知ってるぞ。お前、気づかれてないと思ってたのか?」
思っていた。今まで困っていないのだから言う必要もないと思っていた。
「まあいい、説教はあいつを片付けてからだ」
再び何か仕掛けてこようとしているエンシェントドラゴンを見て、ロゼは光の剣を握り直す。
そうだ、戦闘中だった。今はこんな男との鮮やかな協力技に現を抜かしている場合ではないのだ。
程なくして一行はエンシェントドラゴンの討伐に成功した。
ドラゴンが守っていたらしい廃墟の箱から新しい調合レシピが出てきた。軽く目を通したところ、またも装備品のレシピだったので学園に戻って態勢を整える必要性がありそうだ。
教頭室の扉をくぐり、昨日と同じように各々解散となった。
「まだ頭痛い……」
エンシェントドラゴン討伐後、ウルリカは仲間全員からお叱りを受けていた。
ウルリカがうりゅの力を使った後に様子が変になることに最初に気が付いたのはぺペロンで、ウルリカのアトリエ面子の中では随分前から周知の事実だったらしい。
そしてリリアのアトリエと共同戦線を張ることになった今回の探索の始めにも、その事実は共有されていた。
「ずっと黙ってたウルリカが悪いよ……」
「だって言う必要なかったじゃない」
「そういう問題じゃねーだろ」
アトリエの仲間に責められてはウルリカも引き下がるしかない。事実、こういったことは共有しておいた方がいいことはこの一年で散々分からされている。
一緒に歩いていたクロエとエナとは校庭で別れ、二人は食堂、ウルリカはアトリエへと向かう。先程の探索で手に入ったレシピが気になって仕方なかったのだ。
ちなみに昨日ウルリカが独占していた分はリリアに渡している。代わりにリリアが持っていた分を今日はウルリカが受け取っている。
二冊の調合書を手にアトリエ棟に向かっていると、丁度入り口でロゼとばったり出くわした。
「あっ」
どちらからともなく声が漏れる。この男とはこうして不意に遭遇することが多い。
「……お疲れ」
何か言おうか迷ったが、口から出てきたのは今日の探索に対する労いの言葉だった。
「お疲れ。今から調合か?」
同じ扉をくぐりながらロゼが問いかける。ウルリカが手に持っている調合書に気が付いたのだろう。
「そう。あんたのとこもそうじゃないの?」
「お嬢様は先に食事だ」
なるほど、ロゼの隣にリリアが居ないのはそういう理由か。
「あんたは?」
「俺は先に釜の準備だな。あの人、食べるの遅いから気が楽だよ」
困ったように笑うその姿をウルリカは初めて見る。そうか、リリア相手だとそんな表情もするのか。
まだ知らないロゼの顔を知り、ウルリカのお腹の中がざわざわする。
「……?」
ざわつく腹の中を押し込めるようにウルリカはお腹を擦る。夕飯時といえばそうなので腹が減ったのだろうか。
ウルリカの仕草に気が付いたのか、隣を歩いていたロゼがこちらに視線を送る。
「どうした?」
「ううん……」
歯切れ悪く返すとロゼは不思議そうな顔をしていたが、やがて何かに気が付いたらしく背後を指さす。
「腹減ってるなら食堂行けよ」
自分でもそうかもしれない、と思っていたことをロゼに指摘された。彼に言われるとやたら腹が立つ。
「うるさいわね! 違うわよ!」
「じゃあ冷えたんじゃないのか? 腹、丸出しだし」
今度はウルリカの剥き出しの腹を指さすロゼ。慌てて手でへそ周りを隠す。
「だ……ど、どこ見てんのよ!」
「見られたくないなら隠しとけ」
素知らぬ顔でロゼは言ってのける。見るところしっかり見ていて澄ました態度なのが余計嫌味に感じる。
「別にどうだっていいでしょ!」
それより、とウルリカは続ける。腹の奇妙な感じは無視する。
「さっき、なんでわたしの隣に居たの?」
「さっき?」
「エンシェントドラゴンと戦ってる時」
首を傾げていたロゼに説明するとどの場面か理解したようだ。ああ、と声を漏らす。
「ヘブンリィベルがくるって分かってたのに、なんで逃げなかったの」
「魔力が尽きる技で対抗しようとしてた奴の言葉とは思えないな」
「それについてはちゃんと説教受けたでしょ!」
未だにそれぞれから受けたお叱りの言葉が頭に響いている。これに懲りたら二度とするな、と釘を刺される始末だ。
「単純にお前のマナとの協力技の方が、あの技を相殺しやすいって思っただけだ」
「だからわたしがうりゅの力を借りようとしてたんじゃない」
ヘブンリィベルを凌げばあとは後衛に下がってアイテムを使うなりして魔力の補充が可能だと考えていたのだ。今までだってそうしてきたし、それでなんとかなっていた。
ぺペロンやゴトーは無茶だと言っていたが、新たに作った装備品で魔力の底上げも出来ていた。決して不可能な話ではなかったとウルリカは今でも思っている。
「でも、マナの力を借りて魔力が尽きたお前が、無事だった保証はないだろ」
ロゼの返事にウルリカはきょとん、と目を丸くする。
何故ロゼがウルリカの無事を気にするのだろうか。もう呪いも解けて、彼がウルリカを気に掛ける必要性は全く無いのに。
ロゼの言葉を理解していないことが伝わったのか、彼は得意の溜め息を吐き出す。
「仲間なんだろ、今は」
そうしてロゼは小さく口角を上げる。多分、笑った。
まさかこの男の口からそんな言葉が聞けるとは思ってもいなかった。それだけに、何故だか心がふわふわする。普段ならこんなこと言われれば、表しようのない気持ち悪さを感じているのに。
何もウルリカからの反応がないことが居心地悪いのか、ロゼは表情を戻し、腕を組む。
「……まあ、なんだ。お前が無事で良かったよ」
言われ、ハッと顔を上げる。と、同時に頭に慣れない重み。
視線が交わった深海色は驚きを滲ませていた。しかしそれはすぐに優しさを含んだ眼差しに変わる。
穏やかな手つきでウルリカの頭を撫でていくその手はひどく心地よい。千年樹海で感じたものと同じ気持ちが胸中に広がる。
二、三回ほど頭のてっぺんを往復したその手はやがてゆっくりと離れていく。名残惜しいほどに。
「なによ、気取っちゃって」
負け惜しみのように言えば、その雰囲気すらも伝わったのかロゼはいつものように意地悪く笑う。
「その割には嫌がらないんだな」
「あ……あんたの顔立ててあげただけよ!」
それは誰に対してなんだ、と冷静なツッコミを入れられ、ウルリカは再び口を噤む。
薄々理解し始めている。
彼に仲間だと言われ嬉しく感じたのも、
共に戦うのが心地いいことも、
その手に触れられるのが嫌じゃないのも、
彼の主人に対してだけ見せる表情に焦がれるのも、
全部――恋愛かどうかはさておき――ロゼのことが好きだからなのだと。
「そういえばわたしも調合釜の準備するところからか……」
ウルリカは溜息を吐きながらロゼに並んでアトリエ棟の廊下を曲がる。
昨日も面倒で魔法を使って火を付けた。意外と上手くいったから今日もそれでいいかもしれない。
「怪我するなよ」
「今更しないわよ、火傷ぐらいしか」
「それは怪我って言うんだぞ」
心底呆れた、といった口調で話すロゼと共に曲がった廊下の先は二人のアトリエがある。
が、今日はそこに数人の生徒とトニが立っていた。
「あれ、トニ先生。何してるの?」
背後からウルリカが声をかけるとトニは勢いよく振り返る。思わずのけぞってしまった。
「ウルリカ、お前、何かしただろ」
「え、なにが?」
答えると同時に異臭。何かが焦げたところに薬品を撒いたかのような嫌な臭いだった。
「なんの臭い?」
「お前のアトリエからボヤだ。鎮火したけど明らかに普通の炎じゃなかった。異臭もすごいし、お前ら、何作ったんだ」
「な、なにも変な物なんて作ってない――」
思い切り否定しようとして思い止まる。ウルリカは手に入れた調合書のレシピを作っただけだが、昨日はクロエが解呪用の薬を作っていた。異臭もセットで。
ウルリカの反応から心当たりがあると判断したのか、トニはウルリカに詰め寄る。
「何作った! これじゃこのアトリエ使えないんだぞ!?」
「違う! わたしじゃなくてクロエだもん!」
親友に罪を擦り付けるとトニはうっと怯む。どうやら被害に遭ったことを思い出したらしい。
数秒黙った後、トニは肺の空気を全部吐き出したんじゃないかと思う長い溜息を吐き続けた。
「異臭はあいつが原因だな……じゃあボヤもか? 昨日誰が調合釜に火入れた?」
「火を付けたのはわたしよ」
いつも通り薪を置いて火起こしを――してない。さっとウルリカの顔に冷や汗が湧き出る。
昨日釜の用意をしたのはウルリカだ。火を付けるのを面倒がって炎の円環の力を借りた。
だらだらと汗が止まらない。どう言えばトニの追及から逃れられるのだろうか。
「お前がつけたのか。手順はちゃんとしたのか?」
「あ、アタリマエ、じゃ、ない、センセー」
「なんでカタコトなんだ」
嘘を吐くのは苦手だ。顔に感情が全て出てしまうので誤魔化しているうちに相手にバレてしまう。
それは今回のトニに対しても同じようだった。
「何か隠してるな、お前。何した?」
さらに詰め寄られる。先日も卒業試験の課題を出し忘れてて似たような怒られ方をしたばかりだというのに。
助けを求めるようにロゼを見たが、彼は小さく首を振る。大人しく吐け、と言っている。
「仲間なら助けてくれてもいいでしょ!?」
「それとこれとは別問題だ。大方スキルかなんかで火起こししたんだろ。白状しとけ」
「なんで分かるの!?」
あまりにも的確な指摘に驚いていると前からの圧が強くなった。恐る恐るトニの方を向くと、額に筋を走らせて笑っていた。
「せ、せんせ?」
「ウルリカ、どうやらお前には一から錬金術士としての心構えを教える必要があるみたいだなぁ!?」
「いやいや大丈夫そんなのこの一年で先生が教えてくれたでしょ!」
「うるせえ! 教員室来い、説教だ!!」
トニは怒鳴りながらウルリカの首根っこを掴む。ずるずるとそのまま引き摺ってウルリカは連行されて行った。