Albero
チョコレート×セレナーデ

ウルリカエンディング後
かなり甘め、幻覚強め
バレンタイン小説2021
2021/2/14脱稿



仄かに響く、心地よい低音に惹かれて目が覚めた。
ウルリカはゆっくりとベッドから体を起こし、その音に耳を澄ませる。一体何処から聞こえてくるのだろうか。

「なんだろ……」

耳慣れない音だ。だが不快感はない。むしろこのまま目を閉じてしまえば再び眠ってしまいそうなほどだ。傍で眠っているうりゅを起こさないようにベッドから抜け出し、ウルリカは自室の扉を開ける。
廊下に出ると音はより聞こえるようになった。吹き抜けから薄らと灯りが漏れている。誰か階下のアトリエに居るらしく、音もそちらから響いている。
音色に釣られるように階段を下りてアトリエを覗くと、こちらに背を向けて作業椅子に腰掛けているロゼの姿があった。

「……なにやってんの?」

ウルリカが問いかけると音がピタリと止まる。振り向いたロゼの深海色の瞳と視線が絡んだ。

「悪い、起こしたか」

見ると彼は手に長い棒のようなものを持っていた。灯りが少なくて分かりづらいが、体の前面で支えるように何かを抱えている。
気になって近寄ってみると、それはロゼよりも一回り小さい木の箱だった。楕円形の中央がくびれた不思議な形をしている。表面はツヤツヤとしており、下部には貴族の髭を思わせる黒い模様が左右対称に入っていた。箱の中央下に留め具のようなものがあり、そこから弦が伸びている。目で追うとロゼの左肩から出ている丸い飾りに繋がっているようだった。

「なに、これ?」
「チェロだ」
「ちぇ……?」

聞き慣れない単語に首を傾げると、ロゼは目の前の椅子に座るようにウルリカを促す。大人しくそれに従うと、ロゼは持っていた棒のようなものを張られている弦の上に滑らせた。
すると先程までアトリエに響いていた低音が再び姿を現す。じわじわと体の中に響くような、不思議と安心する音色だった。
何フレーズか弾くとロゼは弦から棒を離し、聞き入っていたウルリカの顔を見た。

「久々に弾きたくなったんだ。消音措置はしたんだが、やっぱり響くな」
「隣に家もないし、わたししか起きてないからいいって」

このアトリエは隣町からも故郷の村からも離れたところにある。今みたいに夜が深まった時間にアトリエの前を通る人など滅多にいないし、近くに家も建っていないので近隣の迷惑にはなっていないだろう。
ウルリカも目が覚めたとはいえ、音を拾ったのが丁度眠りが浅いタイミングだっただけだ。いつもなら眠りについてから朝まで目覚めることはほとんどない。

「お前が起きたし、もうやめておくか」

じっとチェロを眺めていたウルリカの隣でロゼは持っていた棒を作業台の上に置く。作業台の上にはウルリカが身を丸めれば入れそうな黒いケースがあった。おそらくこれにチェロを収納するのだろう。

「あっ、ちょっと」

片付けようと立ち上がるロゼを制止するようにウルリカは手を彼の前に差し出す。
きょとんとした顔をしている彼にもう一度手の平を見せ、ウルリカはアトリエの隅にある氷室箱へと向かう。
扉を開け閉めして戻って来た彼女が手に持っていたのは紺色のラッピングがされた正方形の箱だった。

「はい、これ」

微笑みながら渡してくるそれをロゼは素直に受け取る。さほど重量もなく、どう見ても菓子が入ってそうなサイズだった。
開けていいのか、目で問うとウルリカは頷く。箱に掛けられたリボンを解いて包装紙を剥がすと、中には小ぶりのチョコレートが六つほど入っていた。

「ハッピーバレンタイン。あんた、今日は帰ってこないと思ってたから」

そう言ってウルリカはにっと笑う。数日前から魔物の討伐任務に出ていたので、ロゼが戻るのがいつになるか分からなかったのだろう。買うか調合したか、どちらか判別はつかないが、溶けないようにしておいたようだ。
実際ロゼが帰ってきたのもつい一時間ほど前なのでウルリカの考えはそこまで外れていない。就寝準備をしていたところで部屋に置いてあったこの楽器が目に入ったので、久々にケースを開いてみたのだ。

「ありがとう、嬉しいよ」

素直に礼を告げると少し目を丸くした後、ウルリカの顔が綻ぶ。ちょっとしたサプライズが成功したのが嬉しいようだ。
並んでいるチョコレートを一つ取って口に入れる。甘さ控えめだが濃厚な味で、ロゼの好みだった。

「お返し、何がいいんだ?」

もう一粒食べながら問うと、ウルリカは迷わずに人差し指をロゼに向ける。
どきり、としたが彼女が指さしているのは彼が手に持っている、今しがた片付けようとしていたチェロだった。

「それ、もっと聞きたい」

予想外の回答に今度はロゼが目を丸くする。まさか演奏をねだられるとは思わなかった。それほどチェロが物珍しかったのだろうか。

「なんか一曲弾いてよ。出来れば歌って」
「俺が歌うのか?」

その上、歌まで要求されるとは。戸惑って聞き返すと、ウルリカはロゼが口にしたチョコレートを指し示す。報酬分の働きはしろということだろう。彼女らしい理屈だった。
しばし頭の中で自分が演奏できる曲を考える。ウルリカに合いそうで、かつ、今の時間にふさわしいもの。
したり顔で目の前に座るウルリカを見て、ロゼはひとつ得意の溜め息を吐いてから、大きく息を吸い込む。



ロゼが弾き始めたのは穏やかなバラード調の曲だった。
暑くもなく、寒くもない、そんな日の夜の散歩を思い浮かべるような曲で、しばらくするとロゼの低い声がチェロの上に乗る。
目を閉じてその音色と歌声に耳を澄ます。鼓膜の奥でこだまして、体の中に音が広がっていく感覚が心地いい。ともすればこのまま眠ってしまいそうだ。どこか懐かしさも感じながらウルリカはロゼが演奏を終えるまで静かに耳を傾けていた。


伸びるような一音が響き、それが空間に溶けて消えていく。目を開くとチェロの上を滑らせていた棒をロゼが離し、ゆっくりと顔を上げていることろだった。また深海色の瞳と目が合う。

「いいじゃない」

素直に感想を述べるとロゼは視線を逸らす。照れている時の彼の仕草だった。

「聞いたことある曲だった。どこで聞いたんだろう」
「有名だから、街で流れていたのかもな」

ウルリカが満足したのが分かったのか、ロゼは今度こそ抱えていたチェロをケースに片付ける。大きなケースは見た目だけでは何が入っているのか全く分からなかった。

「知らない言葉だったけど、どんなことを歌ってる歌詞なの?」

ロゼが歌っていたのはウルリカが聞いたことのない言語だった。あまり広く使われていない地域の言葉なのだろうか。
するとロゼは更に気まずそうに顔を背ける。こういう時は何か言いたくないことがあるとウルリカは知っている。

「なによ、言えないようなこと?」

ずい、と距離を詰めると薄暗い灯りに照らされている、仄かに頬を赤く染めたロゼの顔が見えた。
これはめずらしい、と気分を良くしたウルリカは彼の両頬を掴んで無理矢理自と視線を合わ
せる。憂いが滲む深海が戸惑いながらも口を開く。

「……離れた恋人を想う、愛の――」

そこまで言ってロゼは自身の頬を掴んでいるウルリカの手を剥ぎ取り、彼女の頬に戻す。意外にも彼は拗ねたような顔をしていた。

「やめだ、こんな話して何にもならないだろっ」

照れているのを隠そうとするその言動が、いつもクールぶっている彼とあまりにも違って、ウルリカは思わず笑ってしまう。すると更に機嫌を損ねてしまったような表情に変化した。

「あんたもそんな顔するのね」

ひとしきり笑った後、やはりむっとしままのロゼはウルリカの頬に戻した彼女の手を包むように添える。
あ、と言う間もなく唇を掻っ攫われて、気が付いた時には再び気まずそうな顔をしたロゼが目の前に映っていた。

「っおやすみ」

投げるように告げて、ロゼは大きなチェロのケースを抱えてアトリエの階段を駆け上っていった。

「お、おやすみ……」

呆気に取られたウルリカは思わず就寝の挨拶を返してしまう。
唇には苦いチョコレートの味が残っていた。


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