在学中
冬休みに探索に出掛けた二人が遭遇する話
2020/12/12脱稿
しとしとと降り続いていた雨はいつの間にか雪に変わっていた。壊れかけの桟道で採取をしていたロゼは雨が止むのを岩場の陰で待っていたが、それも徒労に終わろうとしている。
学園は冬休みを迎え、後半には戦闘技術科の特別授業がある。それまでに他の授業で出された課題や、アトリエでの役割分担作業を済ませようと考えて探索に出掛けたのだが。
(今日はもう諦めて帰るか……)
学園を出る時から天気は怪しく、桟道を半分ほど進んだところで雨が降り始めた。
降り方が弱かったため待っていれば収まるかと思っていたが、予想以上に冷えていたようだ。まさか雪に変わるとは思わなかった。
防寒対策はしてきているのでそこまで寒くはないが、長時間外に居続けるのは得策と言えないだろう。特別授業までまだ時間もある。焦って課題や作業を済ませる必要性もあまり感じない。今日の所は戻っても良さそうだ。
探索用のカバンからイカロスの翼を取り出し、魔力を込めて発動させようとする。
「飛んでけー!」
声が聞こえた時にはもう遅かった。目の前に黒い塊が迫っており、避ける間も無く顔面にぶつかった。
重たい衝撃と共に、後ろへと転がる。地面に頭を打ち付け、鈍い痛みが走る。
くらくらとする視界を取り戻すように数回瞬きを繰り返し、自分にぶつかってきた物を見ると、それはヤマキノアラだった。はっと目を覚ましたヤマキノアラはロゼには目もくれず走り去ってしまった。
「あっちょっと! 素材置いていきなさいよ!」
逃げるヤマキノアラを追いかけて走ってきたのは、隣のアトリエの主、ウルリカだった。
「げ、嫌味男!」
そしてロゼを見るなり顔をしかめてそう言い放つ。
「あんたってばホントにわたしの行く先々に居るのね。暇なの?」
「そんなわけないだろ」
地面に打ち付けた後頭部を押さえ、ロゼは起き上がる。こんな風にウルリカが原因で転ぶのはもう何度目だろうか。
「どんな攻撃したか知らないけど、お前が飛ばした魔物で頭を打ったんだが」
「また頭打ったの? ドジねー」
「そういうことじゃない……!」
あきれ顔でウルリカが言うのでロゼも思わず言い返してしまう。すると彼女はまたむっと眉を寄せる。
「なによ、そんなところに居るあんたが悪いんでしょ! わたしは普通に魔物と戦ってただけよ」
「無茶なことするなって言ってるんだ。学園の探索地なんだから、他の生徒がいる可能性だってあるだろう」
実際ロゼもこの場にいたのだ。もしこれがロゼではなく、戦闘に慣れていないような普通科の生徒だったとしたら、もっと大惨事になっていたかもしれない。
「というか、わざとじゃないにしても謝れよ」
「はあ? なんでよ」
本当に何も自分が悪いことをしたと思っていないのか、怪訝そうにウルリカは首を傾ける。その態度にロゼは眩暈がする。
入学してすぐの頃、ウルリカが落とした魔法石でロゼが転んだ時も謝罪を要求したが、同じように屁理屈を捏ねられてその言葉は未だに聞けていない。
「なんでわたしが謝らなきゃいけないわけ? あんたが勝手に魔物にぶつかって転んだってだけの話でしょ」
「だから……」
ロゼはそれ以上言葉を続けることが出来なかった。もう何を言っても堂々巡りだ。
盛大な溜息を吐いて、打ち付けて痛む頭を押さえながらイカロスの翼を再び取り出す。
「もういい。お前も早く帰れよ」
雨宿りをしている間に時間も随分経ってしまっていた。もうすぐ夜を迎える上に、天候も悪化している。こんなところでウルリカと喧嘩しているよりも、学園に戻って暖かい場所で腹を満たした方が幾分自分の為になるだろう。
「あんたに言われなくてもそうするわよ」
ロゼがイカロスの翼を発動させようとしているのを見て、ウルリカもそれに倣う。
「あれ、おかしいわね?」
しかし、いつまで経ってもウルリカのそれは輝き始めない。彼女自身も訝しんで外観を確認したり、振ってみたりしているが反応はない。
「……何やってるんだ」
何をふざけているのか、と思っていたがどうやらそうではないらしい。
イカロスの翼は入学してからすぐに支給され、半年以上使ってきているアイテムだが、不具合があったなどという話は聞いたことがない。そもそも、定期的に学園がメンテンナンスをしているのでその可能性も低いはずだ。
「あ、そっか。魔力切れか」
納得がいったようにウルリカはカバンを漁り始める。どうやら先程の戦いで魔力を使い切っていたようだ。
そうなってしまうほどの大技をこの辺りの魔物に放ったのか、とロゼは少し呆れてしまう。装備を整えていればそこまで手こずらない強さの魔物ばかりのはずなのだが。
そんなことをロゼは考えながら、カバンの中を探りまわっているウルリカを見る。しかし次第に彼女の顔から余裕がなくなっていく。
「……今度はどうしたんだ」
律儀に声を掛けてやる必要もないのだが、目の前で慌てている、見知った顔を捨て置くのもなんとなく居心地が悪い。状況を問いかけてみると、ウルリカは気まずそうな表情でロゼを見てくる。
「知恵の薬湯、忘れてきちゃったみたい……」
先程溜息を吐き出したばかりだというのに、ロゼはそれを上回る量の息を吐きだした。
◇
音もなく降り続く雪は道の端にうっすらと積もり始めた。
取り込む空気は一瞬でウルリカの肺を冷やしてしまう。吐き出した息は白くなって空中に溶けていった。
二人が居るのは学園が設置した防御魔法陣付きの野営キャンプだ。魔法陣の効果で、使い切った魔力が徐々に回復していくのが分かる。あと数十分もすればイカロスの翼が使えるようになるだろう。
隣に座ったロゼは黙ったままで、何をするでもなく空を見つめていた。彼が呼吸をする度に、ウルリカと同じように白い息が空中を漂う。
「別にあんたまでついてくる必要なかったのに……」
ここに来るまでの道中、何故かキャンプまで連れ添うと申し出たロゼにウルリカはそう返した。
「お前が魔力切れになったらもう戦えないだろ」
あっさりしたロゼの返事はまさに正論だった。今の彼女は魔法石の力を借りれば魔力を飛ばすことぐらいは出来るが、大掛かりなスキルを使うことは出来ない。
今更この地域の魔物に苦戦するようなことはないとはいえ、もう既に日が沈んでしまった。強敵に遭遇してしまったら、魔力が残っていたとしてもウルリカ一人では無傷で太刀打ちできるか分からない。悔しいが、今は自分の身を守る為にロゼを頼るのが良さそうだと判断したのだった。
(こいつと居るのに静かなの、変な感じ)
二人が遭遇すれば、先ほどのように喧嘩になるのが常だ。こうして二人並んで座り、その間を沈黙が支配している状況というのはかなりめずらしいのではないだろうか。
何か話しかけてもいいのだが、話題が出てこない。そもそもそんな気軽な世間話をするような仲でもない。
(なんであのまま帰らなかったんだろう)
いつもの流れなら口論から武力抗争に発展するのだが、今回はロゼが折れた。と言うよりはよりは諦めた、と捉えた方が正しいか。
その時点で先にウルリカを放って帰ればよかったのに、彼はそうしなかった。自らも知恵の薬湯を持っておらず、渡すことが出来なかったことが後ろめたかったのだろうか。
(こいつがそんなこと思うはずないじゃない)
浮かんだ考えを取り消すように、ウルリカは頭を振る。
しかし天敵であるはずのウルリカをキャンプまで連れていくと言い出したのはロゼ自身だ。もしかして、ここでウルリカに恩を売って、後から滅茶苦茶な要求をしてくるつもりなのだろうか。
「そういうことだったのね⁉」
「なんだ、急に」
ウルリカの中で一つの答えが見つかり、思うままに沈黙を破った。
「その手には乗らないわよ!」
勢いで立ち上がり、魔法石に手を伸ばす。まだ魔力が回復しきっていないので強力なスキルは使えないが、ロゼと喧嘩するぐらいならなんとかなる。
「訳分かんない理由で俺に突っかかってくるの、お前の悪い癖だぞ」
「また嫌味言った!」
ロゼとしてはそんなつもりはないのだが、彼女にはそう捉えられてしまうらしい。尽きることのない溜息を吐き、ロゼは立ち上がったウルリカをじろりと見上げる。
「いいから座ってろ。まだ魔力戻ってないんだろ」
「あんたと戦うには十分よ!」
さあどこからでもかかってこい、と言わんばかりに構えるウルリカ。これではロゼがどう説得しても無駄だろう。
ロゼは魔法石と一緒に伸ばしている彼女の手を引き、無理矢理自分の隣に座らせた。
「ちょっと何するのよ!」
「どんな理由で勘違いしてるか知らないが、今は大人しくしとけ」
「わたしに恩を売ろうたってそうはいかないわよ!」
「…………はあ?」
たっぷり時間を置いて、ロゼは聞き返す。この女は何を言っているのだろうか。自分自身の耳を疑ってみたが、彼女の表情を見る限り、どうやら聞き間違いではないらしい。
「何がどうなってそうなったんだ」
「だって、あんたがわたしに気を遣うなんて、恩を売りつけること以外にあり
得ないじゃない!」
その思考に至った経緯を知りたかったのだが、聞いたところでさっぱりだった。
「全く、油断も隙もないんだから!」
ロゼに座らされてから立ち上がりこそしていないものの、何か気に障ることがあればすぐに手が出そうな態度のウルリカ。一体何が彼女をそうさせているのか、ロゼは頭を抱えたくなった。
単純にあのまま見捨てるのはロゼの居心地が悪かっただけの話だ。彼自身はウルリカに恩を売ってやろうとか、借りを作ろうなどとは微塵も考えていない。
しかし、そこでふと意地の悪い考えが浮かぶ。
「なら、お前は今、俺に借りがある状態ってことになるな?」
「えっ」
ウルリカが説明した理論だと、野営キャンプまで安全に彼女を送り届けるという役目が終わったので、ロゼにひとつ、借りがあるということになる。
ロゼとしてはそんなことよりも魔物をぶつけてきたことに対して謝罪が欲しいが、ウルリカの頭からはそんなことすっかり消え去っているようだ。
「そ、れは、いやでも、わたし、頼んでないし!」
「俺がお前を連れて行く、と言った時点で断ることも出来ただろ」
「うっ、それは……」
ロゼ自身も夜の魔物が危険なこと、ウルリカの魔力が切れていることを考慮しての提案だった。ここで無視して帰った後、大怪我をして帰還されても目覚めが悪いので無理にでも一緒に行くつもりだったことは変わらない。
ウルリカが身の安全を優先して断らないであろうことを分かりきった上での提案だ。彼女が言い返せないのも分かっている。
返答に窮しているウルリカに、ロゼはちょいちょいと人差し指で手招きをする。渋い顔はしているものの、彼女は大人しく隣に居るロゼとの距離を縮める。
「肩貸せ」
お互いが触れ合えるほど近くなったことを確認したロゼは、自らの頭をウルリカの肩に乗せた。
「うえっ⁉」
とびきり驚いた声が聞こえたが無視を決め込む。
ロゼの突然の行動が理解できないウルリカは口をパクパクさせている。その馬鹿面がまた見物で、ロゼは笑いを堪えるのに必死だった。
「何考えてんの⁉」
「借りを作りたくないんだろ? だったらすぐに返せば済む話だ」
「そうじゃなくて!」
あっけらかんとした物言いのロゼにウルリカは怒鳴るが、どうにも響いている様子はない。
それどころか余裕綽々に見える。すましたロゼの顔が腹立たしい。
「疲れたんだ。誰かさんのおかげで頭も痛い」
「それはわたしのせいじゃない!」
いつまで根に持つのか、と言ってやりたいがさすがに言葉は飲み込む。自分のせいではない、と思いつつもどこかで謝った方がいいのではないか、と感じているのも事実だ。
その証拠にウルリカは彼の頭の重さを振り払えない。いつもならこんなことされれば、数秒後にロゼは顔面から地面行きだ。
予想通りの反応があってロゼ自身は大満足だった。ほんの少しの意地悪心だったが、些からしくない振舞いだったかもしれない。何故あんなことを言ったのか自分でもよく分かっていないが、時々顔を掠める彼女の髪の毛がやたら心地よく感じる。
「少し休ませてくれ」
降り続く雪に吸い込まれそうな声で呟いたロゼは、そのままゆっくりと目を閉じ、じわりとウルリカに体重を預けた。
深い呼吸を繰り返す彼の頭をウルリカは押し退けることができないまま、触れ合った肩からじんわりと温もりが広がっていく。かつてないほどの近さに目の敵にしてきた相手が居る。その事実がウルリカの頭を更に混乱させていた。
ロゼが息をする度に肩を通してそれが伝わる。アトリエの仲間ともこれほど近づいたことはない。
柄にもなく緊張しているのか、心臓の音が耳の中で反響する。この音は隣に居るロゼにも聞こえているのではないのだろうか。そう考えると気が気でない。
「……少しだけだからねっ」
ようやく絞り出した台詞は、誰が聞いてもウルリカが強がっていることが分かるものになってしまった。
ロゼは分かってる、とでも言うように、わずかにウルリカへと身を寄せた。