ロゼとウルリカへのお題は
【互いに背を向けて / 隣は私のはずだったのに / 終わらない関係なんてない】です。
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エンディング後
ちょっと長い
2021/3/28脱稿
その日は確か雨が降っていた気がする。
ロゼがウルリカのアトリエで共に生活をするようになってから二度目の梅雨だった。
何気ない会話から喧嘩に発展することも随分と減り、そこにウルリカは違和感を覚え始めていた頃だ。
調合を進めるウルリカの隣で彼は分厚い本のページをめくる。意味もなく、紙をつまむ指先を目で追う。
学園時代と比べると、随分大人びたように見える。背丈も顔つきも、あの頃とは違う。
しとしと、と窓を雨が叩く音がする。二人の間に会話はない。
ぐつぐつ、と釜の中で薬が煮える。弱火にしてかき混ぜる。
先程まで見ていたロゼの指先が瞳にこびりついて離れない。
あの手に自分から触れたら、彼はどんな反応をするのだろうか。らしくない考えがよぎる。
「おい、それっ」
ぼんやりとした思考から戻ると、彼はウルリカの手元を指さしていた。追うように見ると指先が釜の縁に触れていた。途端にちりつく痛みが走る。
「あっつ!」
反射的に釜から離れると持っていたおたまがひっくり返る。耳を刺すような音がアトリエに響き、おたまに入っていた薬品が床に撒き散ってしまった。
「わわわっ」
指を冷やすのが先か、それとも汚れた床を拭くのが先か、そのまま釜を放置しておく訳にもいかないので火を止めるのが先か、ウルリカの頭の中は混乱していた。
結局真っ先に手を伸ばしたのは落としたおたまだった。しかしこちらも先程まで釜の中にあったので、かなりの熱さになっている。
「馬鹿っ」
おたまに触れる直前で手首を握られた。驚いて見るとやけに焦った顔のロゼがウルリカの側まで来ていた。
なぜ彼がウルリカよりも慌てているのだろうか。焦燥が伺える彼の表情を見ていたら頭の中が冴えていくのが分かった。
「いいから先に冷やせ!」
怒鳴るように言われ、なぜそんな命令をされなければいけないのか、と思ったがそのまま手を引かれて水道に連行される。有無を言わさず手が流水に浸された。
ウルリカが大人しく手を水に当てているのを確認し、ロゼはアトリエへと戻っていく。このまま放置なのだろうか。
水が触れる指先は冷やされていることで、より痛みが鮮明になったように感じる。一瞬釜の縁に触れていただけだと思っていたが、そうではなかったのだろうか。
数分もするとロゼが氷を手にウルリカの元に戻ってきた。袋に入ったそれを火傷した指先へと充てがう。
「何考えてたんだ?」
「え?」
唐突に訊かれ、一体なんのことかと目を瞬かせる。
「釜の熱さに気が付かないなんて、よっぽどだろう」
どうやらウルリカがなにか考え事をしていたから手元が疎かになったのだろう、とロゼは思っているようだ。
その考えは間違ってないが、まさかロゼのことを見ていただなんて言う訳にはいかない。
(でも、言えば)
言葉にすれば、ロゼはどんな反応をするだろうか。怒って言い合いになってほしいような、そうじゃないような。
ウルリカはどうしたいのだろうか。冷やされている指先はロゼに握られたままだ。この手を見ていたのだと、言ったら、どうなるのだろうか。
「……ちょっと、気になって」
「なにが」
恐る恐る口を開くといつもよりも低い声で返事があった。これではまるで詰問されているみたいだ。考えがまとまらないこともあって、喉の奥がギュッと締まる。
「あ、んたの、手が」
視線の先で自らの指先に添えられているロゼの手。ウルリカよりも骨ばっていて、触れている指先は硬い。
ぴくり、とその手が一瞬だけ揺れた。手から辿るようにロゼの顔を見ると、少し目を見開いた彼の顔があった。
ぱらぱら、と強くなった雨の音だけが二人の間を通り抜けていく。言葉は出ない。
「……ごめん、やっぱり、なんでもない」
驚いたような顔のロゼから目を離し、ウルリカは彼の手から逃れる。
ひりひりと熱を持つ指先を奪い取った氷で冷やす。しかし一向に治まる様子はなく、ただただじりじりとした痛みが指先を侵食していく。
やっぱり言うべきじゃなかった。こんなこと、二人には必要のない考えだったのだ。
「……触れて、みるか」
雨の音に紛れて、戸惑いが混じった声が聞こえた。
逸らしていた視線をそちらに向けると、ロゼはその手をぎこちなく広げてウルリカのことを見ていた。
差し出された手の誘惑に負けそうになる。
この手を取ってしまえば、相手と自分はどうなってしまうのだろうか。先ほどまでの興味は、今の空のような薄暗い感情へと呑まれて姿を消していく。
まごつくウルリカがじれったかったのか、ロゼは手を伸ばしてウルリカの手を引き、その体を抱き留める。ふわり、と柔らかい金の髪が宙を舞った。
「なにか分かったか?」
ひどく冷静で、だけどどこか温かい声でロゼはウルリカに問いかける。
突然、彼から与えられた熱に早鐘を打つ心臓を無視し、ひたすらに平静を装う。
「……なにも」
口から出たのは強がりの言葉だった。何も分かっていないのであれば、ロゼにも聞こえているであろう心臓の音はなんなのだろうか。
圧倒的な距離感の詰め方に、怒号も裏拳も、魔法石も飛ばす気にならない。それどころか安心感を覚えているだなんて。
これが他ならぬ変化の兆しであることに気が付かないほど、ウルリカは馬鹿じゃないし、あの頃のように幼くもない。
このところウルリカが感じていた違和感の正体が、ロゼと触れ合った部分からじわじわと広がっていく。
喧嘩したいわけじゃない。ただ、彼とのやり取りはいつだって喧嘩から始まっていた。だがそれが無くなったら?
今だってウルリカ自身が望む通りの反応をして、言い合いのゴングを鳴らすことは可能だった。だが、開始の合図は鳴らなかったし、ウルリカ自身も鳴らすつもりなど最初からなかった。
喧嘩したいのに、したくない。相反する気持ちが混ざりあって、胸の内を巡る。考えれば考えるほど心臓はうるさくなる。
「あんたは、どうなの、よ」
たどたどしい言葉はロゼの耳に届いただろうか。引き寄せられた腕が小さく揺れる。
「俺は――お前が望むままに、」
ロゼにしてはめずらしく、どこかこの雨を思わせるような口ぶりだった。
喧嘩するもしないも、全てはウルリカ次第なのだろうか。
「このままも心地いいが……」
ウルリカの頭上で躊躇うように息を吐く気配がした。
「喧嘩しなくてもお前に触れる理由が欲しいよ」
ロゼが語った言葉は、きっと、ウルリカが彼の手を取ったその先に望むことなのだと、直感的に理解した。
ただそれは、今までのように当たり前に喧嘩をしなくなることを意味する。彼はそれでもいいからウルリカに触れたい、ということなのだろうか。
「……それって、」
今のふたりの関係は変わらないのだろうか。あの心地良い束の間のやり取りはお終いになるのだろうか。
ひりひりとする指先が熱を主張する。まるでウルリカの心のように。
「今までの関係は終わりだ」
落ちてきた言葉に弾かれるように顔を上げる。深海の瞳はかつて見た、あの優しい笑顔でウルリカを見つめていた。
すっと頬に伸ばされた彼の指先は冷たい。きゅ、と目を閉じると控えめなキスが唇に降ってきた。