両主人公本編後、聖域探索前
図鑑を埋めたいウルリカの話
2021/2/11脱稿
ウルリカはひとり、アトリエで腕を組んで唸っていた。
うりゅの騒動があり、すっかり頭から抜け落ちていた期末試験も終わり、あとは無事に卒業を迎えるだけになった今日。ウルリカの目の前にはこの一年お世話になってきた図鑑とグロウブックが置いてある。
「うーん、おかしいわねぇ」
「うー?」
うりゅと一緒に首を傾げてみるものの、目の前にある二冊の本に変化はない。
なぜ彼女がこれらとにらめっこをしているのか。それはもう卒業間近だというのに、本に埋まっていない項目が存在しているからだった。
入学当初、学園からこの二冊を受け取った際、卒業までにほとんど埋まると言われていた。しかし実際に卒業を控えた今になっても、図鑑はもちろん、グロウブックも六割ほどしか埋まっていない。
「そもそも図鑑なのになんでこっちが埋める作業をしなきゃいけないのよ」
手に取ってパラパラとめくってみるが、あちこちに空欄が目立つ。本当にこれが全て埋まるのだろうか、ウルリカには半信半疑だった。
グロウブックに関してはアイテムの開示は進んでいるのだが、三つ目の項目が埋まっていないものが多い。手持ちの素材ではどう足掻いてもエーテル値を最大にすることが出来なかったのだ。
本とにらめっこをしていても空欄が埋まる訳ではない。ウルリカはうりゅを抱えて、残り少ない授業に出るため、教室に向かうことにした。
授業開始前の教室棟の廊下では期末試験が終わったからか、心なしか浮足立っている生徒たちが多く見受けられた。実際ウルリカ自身もあとは卒業を待つだけなので、気持ちは似たようなものだ。
白いカバンを肩から掛けて、混み合う廊下を歩く。腕の中のうりゅも浮かれている生徒をキョロキョロと見回している。
「ねえ図鑑埋まった?」
喧騒の中からその言葉だけを丁度拾う。振り向くと、同じ錬金術科の女生徒が話をしていた。
「ううん。やっぱり戦闘技術科の内容と合わせないとダメみたいね」
「ちょっとそれ、どういうこと⁉」
考えるより前に体が動いていた。話している二人の間に入って問いかける。
突然現れたウルリカに二人は目を丸くしていたが、彼女が割り込んだのだと分かると手に持っていた図鑑を見せてくる。
「ほら、ここは戦闘技術科の人に少し見せてもらったところ。錬金術科の授業ではやってないから知らないでしょ?」
指し示されたアイテムは、確かにウルリカが知らない物だった。もちろん彼女の図鑑にも記載されていない。
学科によって授業内容が多少異なることは知っていたが、まさかこんなところに影響が出るとは考えてもみなかった。
「ホントだ……じゃあ全部図鑑を埋めるには」
「戦闘技術科の人と図鑑を見せ合うのが一番だね。でも人によって受けてる授業も違うから、色んな人に聞くのがいいのかも」
そう言われてウルリカは顔をしかめる。この学園で過ごして約一年になるが、同じ錬金術科の生徒はともかく、他学科の知り合いなど数える程しかいない。
「うーん、困ったなぁ」
学園祭の騒動で知り合った生徒は居るものの、肩を並べて図鑑を見せ合うような仲の良い友達など居ない。つくづく自分の交友関係の狭さが悔やまれる。
芳しくない返事をするウルリカに女生徒二人は首を傾げる。
「どうして?」
「だって、そんなの見せてくれる友達なんて居ないもの」
正直に友達が少ないことを告げると、あっけらかんとした様子で女生徒は続ける。
「ロゼくんが居るじゃない。仲良いんでしょ?」
「そうそう。よく一緒に居るの見るし」
「ロゼ……?」
名前を言われたが、一瞬誰のことか分からずぽかんとしてしまった。
頭の中で反芻し、ようやくことある事に喧嘩をしている男のことだと思い当たる。
「ああ、嫌味男のこと……いや、仲良くなんかないし!」
「そうなの? よく二人で話してるからそうなんだと思ってた」
彼女の言う通り、ロゼとは少なからず縁があるので顔を合わすことは多いが、話をしているのではなく喧嘩をしていることがほとんどだ。口論から口喧嘩、それから武器を取り合っての騒動になることは、もはや日常茶飯事になっている。どこをどう見れば仲良く見えるの
か、ウルリカには欠片ほども理解できなかった。
「あいつとはそういうんじゃないの!」
「ふーん、そうなんだぁ」
あまり納得がいってなさそうな女生徒に、どれほどウルリカとロゼの仲が悪いのか伝えようと口を開いたところで、予鈴が鳴り響く。廊下に出ていた生徒は三々五々に散り始め、各々教室へと入っていく。
ウルリカたちももちろん授業がある。遅れようものならトニの怒号が降るのは分かっているので、話を切り上げて教室へと急いだ。
◇
授業も終わり、いつも通りアトリエでうりゅに構いながらウルリカはやはり悩んでいた。
図鑑とグロウブックを埋める手だては分かったとして、問題はその方法だ。女生徒たちとも話したとおり、ウルリカに頼れそうな戦闘技術科の友人は居ない。恥を捨てるならロゼに頼ってもいいが、それはウルリカの気持ちが許さない。第一、図鑑を共有しようなどと提案した日には得意の嫌味が飛んでくるに違いない。
「ああもう、想像しただけで腹立つわね!」
分かりきっていることを実行するほどウルリカも馬鹿じゃない。ましてやロゼ相手にならば尚更だ。
先日のうりゅの騒動で、アトリエの仲間とはぐれてしまった際は共闘もしたが、あの時は状況が状況だった。彼の腕が立つことは実際に戦ってきたので知っていたし、なにより他に頼れる人がいなかった。ぺペロンともう少し早く合流出来ていれば、あんな奴と手を組むことなどなかっただろう。
「ねーちゃん、一人で何ぶつぶつ言ってんだ?」
同じアトリエの中でこれまたいつも通り機械腕のメンテナンスをしていたエナが、顔を上げてウルリカを見る。頬に黒い油汚れが付いているので指さすと、彼は顔を拭った。
「図鑑よ、ず・か・ん。埋まってないのが気になっちゃって」
「へーどれどれ」
今度は鼻先に汚れが付いていたので、仕方なくウルリカはエナの顔を拭う。眉をひそめた後、彼はウルリカが持っていた図鑑を覗き込んできた。
「結構埋まってるんじゃないのか?」
「図鑑は六割程度ってとこよ」
「充分じゃねーのか? ねーちゃん、こういうの埋めたいタイプだっけか?」
エナの疑問はもっともだった。ウルリカと言えば課題は適当、そしてその期限は守らない、採取も収集も粗雑、言うならば大雑把の塊のような存在である。
そんな彼女が、たかが図鑑が埋まっていないことを気にしているのはエナにとって少し奇妙に感じられた。
「ううん、正直めんどくさい。むしろ埋まってるやつ寄越しなさいって思ってるわよ」
露骨に嫌そうな顔をして言うので、エナはさらに首を傾げる。
「じゃあなんで?」
するとウルリカはふふん、と笑って図鑑の一番後ろを開く。
指し示された場所には「卒業時、返却義務は生じない」と書かれていた。
「あー……なるほど?」
「学園にいる間に埋められるっていうならそれに乗っからない手はないわ。図鑑なんて、それこそ情報の山じゃない」
ウルリカがらしくない行動をする時は、いつだって得をしようとする時だ。それが失敗に終わることもままあるが、今回の件に関してはエナも納得がいく。
つまるところ、学園卒業までにできる限り、今後の生活で役に立ちそうな情報を集めておいてやろうということなのだろう。
「なのにどうやったって埋まらない項目があるなんて聞いてないわよ! こんなの理不尽よ!」
「……普通なら誰かと見せ合って埋めてくんじゃないのか?」
あまりにも的を射たエナの発言にウルリカはぐっと息を詰まらせる。
「もしかしてねーちゃん……」
「っそうよ! 図鑑を見せ合うような仲のいい他学科の友達なんか居ないのよ!」
「潔すぎるだろ……」
思い切って白状するとエナは呆れた顔をウルリカに向けた。自分で言いながら情けないとも思っているが、こればかりは自身の力ではどうしようもなかった。
「ううう、こんなことならちゃんと友達作りをするべきだったわ……」
一応エナもウルリカと違う普通科の生徒だが、課題の手伝いなどは一緒にやってきたので図鑑の埋まり具合は似たようなものだろう。
頼るとしたら他学科で尚且つアトリエの所属が別でなければならない。
「他の学科の奴でいいのか?」
再びウルリカが頭を抱えているとエナがそんなことを聞く。驚いて彼を見ると頬を掻きながらウルリカの事を見ていた。
「ぷによが一応他学科だから、声かけてみるか?」
「あーそれだ!」
エナの言う通り、ぷによならば他学科であり所属アトリエも別だ。こなしてきた課題も違うだろうし、もしかするとそれで埋まる項目も多いかもしれない。
「聞いてみてよ! よろしく!」
「もうなんでもありだな」
ため息を吐きながらエナはアトリエを出て行く。きっとぷによを探しに行ったのだろう。
光明が見えたところでウルリカは機嫌を良くし、グロウブックの全項目開示を目指して調合釜へと向かった。
しばらくしてからエナはぷによを引き連れてアトリエに戻って来た。
「戻ったぞ」
「ぷに! ぷにぷに!」
「ご無沙汰してます、ウルリカさん」
ぷによの兄弟であるぷにぷにも三匹ほど一緒にいるが、相変わらずウルリカにはなんと言っているか分からない。しかしエナがすぐに通訳をしてくれるので会話をするのに支障はなさそうだ。
「なんでもぷによの図鑑を見せてほしいとか」
「そうなの。お願いするわ」
両手を合わせて懇願すると、ぷによは長い袖の中から図鑑を取り出してウルリカへと渡した。
早速ぺらぺらとめくってみる。埋まり具合はウルリカとほとんど変わらないような気がするが、それでもいくつか知らない項目があるので、見つけ次第適宜自分の図鑑へと書き込んでいく。
「こんなもんかなぁ」
「お役に立てましたか?」
「うん、少し前進した。ありがとう」
ぷによの図鑑を見たことで本当に少しだけ空欄が埋まった。それでも図鑑完成には程遠い。
「でもまだまだよね。本当なら戦闘技術科の生徒に見せてもらうのが手っ取り早いらしいんだけど……」
図鑑を見返しながらぼやくウルリカにぷによとぷにぷに三兄弟は首――ぷにぷにに首があるかは別として――を傾げる。
「それならロゼさんを頼ってみればいいのでは?」
言った瞬間、ウルリカが渋い顔をする。
「あんた達もそう言うのね……」
「そうだよねーちゃん、にーちゃんに聞けばいいじゃんか」
「エナまで! 嫌よ、あんな奴を頼るなんて!」
ぶんぶんと音が鳴りそうなほどウルリカは顔を横に振る。錬金術科の女生徒にも言われたが、ロゼを頼るだなんてまっぴらごめんだ。それなのに何故自分の周りの人はことごとくロゼを頼ればいい、と助言するのだろうか。ウルリカにはそれが一番解せない。
「何騒いでるの……」
ウルリカが頭を抱えて喚いているとアトリエの扉が開いてクロエが入ってきた。手には昨日とは違う真っ黒な本を持っている。
彼女に気が付いたエナが簡単に事の経緯を話すと、考えるような仕草をとったあと口を開く。
「戦闘技術科、ってことなら、エトさんもそうじゃない?」
「そういえば、バカ姉貴もそうだったな」
「はっ! 言われてみれば!」
妙案だ、とばかりにウルリカは手を叩く。しかし明るい表情をしている彼女たちとは反対に、ぷによとぷにぷに達の表情は曇っていた。
それに気が付いたエナが問うと、ぷにぷに達は言いづらそうに話し始める。
「実はエトさん、入学して早々にそれらを無くしてしまったみたいで……」
「えっ⁉ そうなの⁉」
ぷによ達の話によると、春先の課外授業でうっかり無くしてしまったらしい。
グロウブックは無いと困る、ということで再発行申請をしたようだが、図鑑は無くても困らないという本人の主張により、それからずっと所持していないとのことだ。
学園も教科書や参考書のように必ず必要なもの、というわけではないので強要しなかったらしい。エトがリリアのアトリエに所属していたため、必要ならアトリエの仲間を頼ると考え、そこまで困らないだろうと判断したことも要因だった。
「まさかそんなことあったなんて」
「やっぱりバカ姉貴だな……」
ウルリカ自身も性格や行動が雑だと自覚しているところはあるが、大事なものや役に立つものを粗末にするほどではない。
比較的親交があるといえるエトも頼れず、ウルリカはついに八方塞がりになってしまった。
「こうなったら他の人が図鑑を開いてる間に強奪するしか……!」
「馬鹿な真似しないでね……」
物騒な提案をするウルリカにクロエは懐から真っ黒な粉の入った小瓶を取り出す。なんの効果があるかは分からないが、それが彼女の《おまじない》試作品で、不幸に巻き込まれることは一瞬で理解できる。慌ててウルリカは口を閉じた。
ともかくウルリカが打てる手は現状ロゼを頼る以外になくなってしまった。それは分かっているのだが、彼に頼み込むことなど全く考えていない。そんなことをするぐらいなら舌を噛み切って死んだ方がましだとまで思っている。
「なにかいい方法はないかしらね……」
わざわざアトリエまで来てくれたぷによ達に礼を告げ、ウルリカはまた頭を抱え、どうにかして図鑑を埋める方法を考えることにした。
結局あれから良い考えは浮かばず陽が沈んでしまった。
もう今日はアトリエで調合することもないので釜の火を消し、戸締りを確認して回る。
「これでよし」
誰も居なくなったアトリエの窓に鍵が掛かっていること、釜の火がきちんと消えていること、その他素材などが床に散乱しすぎていないことを確認する。
すっかり眠ってしまったうりゅを抱いて、ウルリカはアトリエを出た。木の扉をくぐって廊下に出ると、丁度同じタイミングで隣のアトリエの扉が開いた。出てきたのは今日、何故か度々――ウルリカにとって不本意だが――話題に上がっていたロゼが姿を現した。
「うわっ」
反射的に声が出てしまった。別に今は彼に対してやましいことなど何もないが、朝から名前を聞き、顔を思い浮かべることが多かったのでなんとなく気まずい。
声に気が付いたのかアトリエの施錠をしていたロゼがウルリカを見る。そして彼もまた、言葉にはしないが眉間に皺を寄せる。
「……人の顔を見るなり、不快そうにするな」
「出ちゃったものはしょうがないでしょ」
言葉にしてしまったものは取り消せない。ましてやそれが相手の耳に届いてしまっているなら尚更だ。悪びれる様子もなくウルリカは不機嫌顔のロゼに言う。
そんな態度のウルリカにもう慣れ切っているのか、それとも呆れているのか、ロゼはアトリエの鍵をコートのポケットに入れながらため息を吐いた。
「もういい。お前も早く帰れよ」
このまま話をしても得られるものはないと判断したのだろう。ロゼは短く告げてウルリカに背を向ける。
しかしウルリカは見逃さなかった。彼がポケットに入れたのとは反対の手に、分厚い本を二冊握っていることを。
「待って!」
慌てて駆け出して夜色のコートを引っ掴む。急に後ろに引っ張られたロゼはバランスを崩しそうになったが、転んでしまう寸でのところで体を持ち直す。
「お前、何すんだっ」
「そ、それ! あ、いやっえっと」
ウルリカにしてはめずらしく、しどろもどろになりながら彼女は視線をある一点に向けていた。
ロゼはウルリカが見つめる先を目で追う。それはロゼの左手に持っている図鑑へ向けられていた。
「なんだ?」
「いやーえっと、」
思わずロゼを引き留めてしまったが、まさかこのタイミングで図鑑を見せてほしいなどウルリカから言う訳にはいかない。言おうものなら想像した通りの嫌味が飛んでくるだろう。
だがそれでは咄嗟にロゼを呼び止めてしまった説明がつかない。本当に考えるよりも先に体が動いてしまった。
「用が無いなら離せ」
「ううう、ちがう、用はあるの……」
ロゼは突き放そうとしたがウルリカは弱いながらもコートを掴む手を離さない。よっぽどのことがない限り、ウルリカがロゼに用事があるはずなどないのだが。
そしてロゼは思い当たる。ウルリカの視線は自分が手に持っている図鑑とグロウブックに向けられていた。きっと彼女の目的はこれだろう。
「図鑑か?」
「っ! そ、そう!」
持っていた分厚い本を目の前に掲げると、ウルリカは目を輝かせる。今にも喉から手が出てきそうなほどだ。
ロゼは手渡すかのように図鑑をウルリカに近づける。が、彼女が触れる直前で自身の頭の上に掲げた。
「あっちょっと‼」
「人に何かを頼むときの態度ってものがあるだろ?」
「んなっ!」
かちん、と頭のどこかでスイッチが入った音がした。どこか遠くの世界で喧嘩が始まるゴングが鳴ったような気もする。ともかくこの男との戦いが始まったのだけが分かった。
背伸びをして手を伸ばすが腹が立つことにロゼの方が身長は高い。手を高く掲げられるとウルリカには届くはずもない。
かくなる上はすっ転ばして地面を拝ませてしまうのが手っ取り早いか。ウルリカはがら空きのロゼの足を払うように薙ぐ。
が、それも華麗に避けられ、鼻につく顔のままロゼはウルリカを見る。
「むかつく! なんなのよ!」
「お前が素直に見せてくれって言えば、考えてやらなくもないけどな」
「はああ⁉」
なぜウルリカがロゼに頼み込む形を取らなくてはいけないのか。気が付いたのであれば見せてくれる善意があっても罰は当たらないだろうに。この男は何処までも意地が悪い。
ほくそ笑むロゼは睨みつけるウルリカの前に再び図鑑をぶら下げる。すばやく掴もうとするがやはり手の中にそれが収まることはない。
「どうするんだ?」
行動通りの悪意ある笑顔を浮かべたままロゼは問いかける。ウルリカが大人しくそんなことを口にすることはない、と分かっての行為だろう。それが分かるだけに腹が立つ。
だがこうして遭遇したのも好機と言えばそうなのだろう。わざわざアトリエや教室まで嫌味を言われるためにこの男のところに行く手間は省ける。ただ、正直なことを言わされているのが気に食わないだけだ。
口をもぞもぞとさせてウルリカはすっと息を吸う。掴んだままのロゼのコートをぎゅっと握る。
「み、見せて、よ」
「何をだ?」
「わ、分かってるでしょ⁉ 馬鹿じゃないの⁉」
先程までの話を聞いていなかったのだろうか。そもそも図鑑を欲していると気が付いたのはロゼの方なのに、何をとぼけたことを。
眉を吊り上げて抗議してみるが、ロゼの手から図鑑が手渡されることはない。本当に、どこまでも、意地が悪い。
「~~~~だから! 図鑑、見せてほしいって言ってんのよ!」
半ばやけくそで叫ぶと、ロゼは満足したような顔で図鑑をウルリカの頭に置く。はっとしてウルリカがそれを両手で掴んだのを確認して、彼は図鑑から手を離した。
呆気に取られた顔でウルリカが彼を見ると、さっきまでよりも幾分か意地悪さが取れた顔で彼女の事を見ていた。
「さっさと返せよ」
一言、短く告げてロゼはウルリカに背を向ける。歩き出した方向的にそのまま寮に帰るようだ。グロウブックはさすがに必要ないだろうと思ったのか、そちらはロゼの手に収まったままである。
朝からずっと頭を悩ませていたものが手の中にある。確認するために中身を開いてみると、ウルリカの知らない項目が幾多も存在していた。
ロゼが在学期間でどんな講義を受けてどんな課題をこなしてきたのか分からないが、これで恐らくウルリカの図鑑はほとんど埋まるだろう。
「恥を捨てた甲斐もあるってもんね!」
ぎゅっとロゼの図鑑を抱き締めてウルリカは小躍りをする。悪趣味な対応はされたが、得意の嫌味が飛んでこなかっただけ良かったと言えるだろう。
まだうりゅやマナのことで気にかかることはあるが、学業面での不安はこれでなくなりそうだ。
ウルリカは浮き足立ったまま寮への道を急いだ。
この後、光のマナへ意趣返しをするためにロゼとウルリカのアトリエ両方が協力することになるのだが、共同戦線を張るために図鑑などの情報共有が行われることを、彼女はまだ知らない。